元素不純物とICP-MS ― JP19〈2.66〉が三薬局方調和になり、日局独自規定が見えるようになった【2026年版】
質量分析

元素不純物とICP-MS ― JP19〈2.66〉が三薬局方調和になり、日局独自規定が見えるようになった【2026年版】

第十九改正日本薬局方(JP19)で一般試験法〈2.66 元素不純物〉が改正された。改正されたのは 「II. 元素不純物試験法」で、薬局方調和国際会議において新規に調和合意された内容が反映され、 三薬局方で調和された部分と日本薬局方が独自に規定する部分が条文上で区別されるようになった。 JP18と条文を突き合わせると判定基準の数値は変わっていない――変わったのは位置づけである。 本記事では改正の中身を原文で示し、あわせて元素不純物分析の実務を整理する。クラスとPDE、 目標限度値とJ、分析手順1(ICP-OES)と手順2(ICP-MS)の使い分け、密閉容器マイクロ波分解、 アルゴン塩化物によるヒ素の干渉とコリジョン/リアクションセル、そしてバリデーション要件まで。

医薬品に含まれる金属は、触媒の残留、原料由来の天然不純物、製造機器や容器からの混入と、いくつもの経路で入り込みます。これを管理するのが元素不純物の試験です。

第十九改正日本薬局方(JP19)で、一般試験法〈2.66 元素不純物〉が改正されました。 ただし判定基準の数値は変わっていません。変わったのは位置づけです。試験法が三薬局方調和のものとなり、どこが国際調和された部分で、どこが日本独自の規定なのかが条文上で読み取れるようになりました

本記事では、まず改正の中身を原文で確認し、そのうえで元素不純物分析の実務――クラスとPDE、目標限度値とJ、ICP-OESとICP-MSの使い分け、試料調製、干渉、バリデーション要件――を整理します。

この記事の読み方:1〜2節は改正点と歴史的背景で、入門者にも分かるように書きます。3〜5節は管理の枠組みで規制対応の担当者向け。6〜9節は現場の分析者向けに、試料調製・干渉・バリデーションへ踏み込みます。専門用語は初出時に短く補足します。

注意:本記事は条文の要点解説です。実運用にあたっては必ず告示された日本薬局方の原文をご確認ください。

1. JP19で〈2.66〉の何が変わったのか

判定基準はJP18から不変で、条文上の位置づけが調和により明確化されたことを示す図解
図解:判定基準の数値(添加回収率70〜150%、併行精度RSD 20%以下、室内再現性25%以下)はJP18から不変。変わったのは条文上の位置づけで、三薬局方で調和された部分、調和対象だが非調和となった箇所(◆)、日本薬局方独自の規定(◇)が区別して示されるようになった。

JP19は令和8年(2026年)4月10日に告示・同日施行されました。改正された一般試験法19項目に〈2.66 元素不純物〉が含まれます。PMDAの「第十九改正日本薬局方の概要」はこう記しています。

II. 元素不純物試験法」について、薬局方調和国際会議において新規に調和合意された内容を反映

ここで正確に押さえておくべきことがあります。「II. 元素不純物試験法」自体はJP18から存在していました。 分析手順1・分析手順2という構成も、バリデーション要件もすでに入っていました。

JP18とJP19の条文を突き合わせると、判定基準の数値は変わっていません。 添加回収率70〜150%、併行精度のRSD 20%以下、室内再現性25%以下、定量限界は目標濃度の50%以下、システム適合性は理論濃度からの偏差20%以下――いずれも同じです。

では何が変わったのか。JP19の〈2.66〉IIには、次の前文が付きました。

本試験法は、三薬局方での調和合意に基づき規定した試験法である。なお、三薬局方で調和されていない部分のうち、調和合意において、調和の対象とされた項中非調和となっている項の該当箇所は「◆ ◆」で、調和の対象とされた項以外に日本薬局方が独自に規定することとした項は「◇ ◇」で囲むことにより示す。

JP18の同じ箇所にこの前文はありません。つまり〈2.66〉IIが三薬局方(日局・USP・欧州薬局方)の調和試験法として位置づけ直され、非調和部分と日局独自規定が記号で可視化された、というのが改正の実体です。

これは実務的な意味を持ちます。海外の薬局方と足並みを揃えて試験法を組むとき、「どこが日本独自なのか」を条文から直接読み取れるようになったからです。

◇で囲まれた日局独自規定には、たとえば次のようなものがあります。

  • 分析手順1・2以外の原子吸光光度法などでも、バリデートされていればクロスバリデーションなしで使用できるという注記
  • 目標限度値の概算方法(PDEを最大一日投与量で除する)と管理閾値(PDEの30%)の考え方
  • 「適切な標準物質」として国家計量機関(NMI)の認証標準物質(CRM)またはそれにトレーサブルな標準物質を原則とすること
  • 定量限界は目標濃度の50%以下でなければならないこと
  • 真度の試料調製で目標濃度の50〜150%の範囲にある3濃度とすること

日局独自規定が多いというのが率直な印象です。ここを把握せずに海外の手順をそのまま持ち込むと、日本で通らない可能性があります。

2. なぜICP-MSなのか ― 硫化物比色法からの転換

硫化物比色法と機器分析の対比を示す図解
図解:硫化物比色法(USP<231>)は硫化物を作る10元素が対象で特異性がなく、最高600℃の灰化で水銀を失い、判定も目視で主観的だった。機器分析(USP<232>/<233>、2018年1月1日発効)は元素ごとに濃度で測り、密閉容器分解で揮発を防ぐ。

現行の試験法がICP-OES/ICP-MSを前提にしている理由は、歴史を知ると腑に落ちます。

かつて薬局方の重金属試験は、硫化物の呈色を目視で比較する方法でした。米国薬局方の一般試験法 <231> がその代表で、チオアセトアミドなどの試薬と反応させて硫化物の沈殿を生成させ、標準と色を見比べるというものです。対象は硫化物を作る10元素(Ag, As, Bi, Cd, Cu, Hg, Mo, Pb, Sb, Sn)でした。

この方法には根本的な弱点がありました。

  • 元素ごとの特異性がない。 どの元素がどれだけ入っているのかが分からず、クロムのような硫化物を作らない元素や触媒金属は対象外でした。
  • 前処理で目的元素を失う。 試料を最高600℃で灰化する手順があり、揮発性の水銀が失われるという問題が指摘されていました。
  • 判定が主観的。 色の比較は分析者に依存します。

USPでは <231><232><233> に置き換えられ、2018年1月1日に発効しました。新しい章はICP-OES/ICP-MSといった現代的な機器を前提とし、元素ごとの限度値を定めています。日本でもICH Q3Dに基づく管理へ移行し、〈2.66〉として整備されました。

「総量を色で見る」から「元素ごとに濃度で測る」への転換です。ICP-MSが主役になったのは、この転換の必然的な帰結でした。

3. 管理の枠組み ― クラスとPDE

クラス1の4元素と投与経路別PDE設定を示す図解
図解:クラス1はヒトへの毒性が高い As・Cd・Hg・Pb の4元素で、混入起源と投与経路の全般にわたるリスクアセスメントが必要。PDEは経口・吸入・皮膚適用・注射の経路別に設定され、皮膚適用製剤ではCTCLも満たす必要がある。1日2 Lを超える注射剤は計算に2 Lを用いる。

〈2.66〉のI(製剤中の元素不純物の管理)は、元素を毒性(PDE値)と製剤中に存在する可能性に基づいて3クラスに分類します。

クラス1ヒトに対する毒性の高い元素で、As、Cd、Hg、Pb の4元素です。条文は「医薬品の製造において使用が制限されるため、使用されることはまれ」で、製剤中のこれらは「通常、用いられる鉱物由来の添加剤などの原材料に由来する」と述べています。この4元素は、混入する可能性のある起源および投与経路の全般にわたるリスクアセスメントが必要とされます。

PDE値は投与経路別に設定されています。経口製剤、注射剤、吸入剤、そして皮膚適用製剤です。皮膚適用製剤については皮膚及び経皮濃度限度値(CTCL)を持つ元素があり、その場合は両方の限度値に適合する必要があります。

投与量の扱いにも規定があります。最大1日投与容量が2 L以下の注射剤は、最大1日投与容量を用いてPDE値から許容濃度を計算します。生理食塩液、ブドウ糖注射液、完全静脈栄養剤、洗浄用水など1日2 Lを超える製剤では、計算に2 Lを用います。

適用対象も明確です。元素不純物の管理は製剤に適用され、精製されたタンパク質・ペプチド、合成ペプチド、ポリヌクレオチド、オリゴ糖類を含有する製剤にも適用されます。一方、生薬、放射性医薬品、ワクチン、細胞・組織・遺伝子に基づく製品、血液製剤、体循環に移行しない透析液などには適用されません。また薬理作用を目的として添加された元素にも適用されません。

用語補足:PDE(許容一日曝露量)は、元素不純物の毒性データの評価に基づき、全患者の健康を保護することを意図して設定された1日当たりの許容量。製剤中の元素不純物がPDE値を超えなければ、限度値をさらに厳しくする必要はないとされる。

4. 目標限度値とJ ― PDEを濃度に落とす

PDEから目標限度値を経てJを算出する流れと具体例を示す図解
図解:PDEを最大一日投与量で除して目標限度値を出し(有意性評価なら管理閾値=PDEの30%)、装置の直線範囲に合わせて希釈するとJが決まる。一日投与量10 gの経口固形製剤では、鉛の目標限度値0.5 µg/g・ヒ素1.5 µg/g を1:100希釈して J=5 ng/mL・15 ng/mL。標準溶液は1.5Jと0.5Jで作る。

規制値は「1日あたり何µg」で与えられますが、装置が測るのは「溶液中の濃度」です。この橋渡しをするのが目標限度値J です。

目標限度値は評価される元素不純物の許容値で、条文(◇の日局独自規定)はこう示します。

  • 製剤中の目標限度値は、PDEを最大一日投与量で除することで概算できる
  • 元素不純物量の有意性を評価する場合には、PDEの30%(管理閾値)を最大一日投与量で除した値を目標限度値とできる
  • 構成成分中の元素不純物の許容濃度が設定されているときは、それを目標濃度とできる

J は、標準溶液および試料溶液中の対象元素の最終濃度です。目標限度値において装置の稼働範囲内に適切に希釈された濃度に相当します。希釈が不要ならJは目標限度値に等しくなります。

条文が挙げている例がそのまま実務の手順書になります。

一日投与量10 gの経口固形製剤をICP-MSで分析し、分析対象元素が鉛とヒ素の場合、目標限度値はそれぞれ 0.5 µg/g と 1.5 µg/g。しかしICP-MSの直線性の範囲はこれらの元素について 0.01 ng/mL 〜 0.1 µg/mL であることが知られている。装置の直線範囲で分析するには少なくとも1:100の希釈が必要となり、鉛とヒ素のJはそれぞれ 5 ng/mL と 15 ng/mL となる。

標準溶液はこのJを基準に作ります。標準溶液1が1.5J、標準溶液2が0.5J、検出限界の確認には1.0Jを用います。Jを決めないと標準溶液が作れない――ここが元素不純物分析の設計の起点です。

5. 分析手順1と2 ― ICP-OESとICP-MSの使い分け

分析手順1と2の対比とシステム適合性の確認方法を示す図解
図解:分析手順1はICP-OESで波長を、手順2はICP-MSでm/z値を指定する。干渉の注意点は前者が波長のオーバーラップ、後者が塩化アルゴンなどのマトリックス干渉。システム適合性試験用溶液は試料測定の前後で挟み、理論濃度からの偏差20%以下を確認する。手順1・2は選択肢で、バリデートすれば原子吸光光度法なども使える(日局独自規定)。

〈2.66〉IIは2つの分析手順を示します。

分析手順1 分析手順2
検出技術 ICP-AES(ICP-OES) 誘導結合プラズマ発光分光分析法 ICP-MS 誘導結合プラズマ質量分析法
検出器 光学検出システム 質量分析計
適用 一般的にICP-OESで検出可能な元素不純物 一般的にICP-MSによる検出が適した元素不純物
分析の指定 製造業者の指定するプログラムや波長 製造業者の指定するプログラムとm/z値
干渉の注意 マトリックスによる干渉(例:波長のオーバーラップ マトリックスによる干渉(例:ヒ素の検出における塩化アルゴンの干渉

どちらの手順も標準溶液1(1.5J)、標準溶液2(0.5J)、ブランクで検量線を作り、システム適合性の要件は同じです。

システム適合性(両手順共通) 装置の稼働安定性:試料溶液の測定前後でシステム適合性試験用溶液の結果を比較する。 適合基準:各分析対象元素について、理論濃度からの偏差が20%以下。 注:試料の無機物含量が高い場合は、システム適合性試験用溶液の導入前にキャリーオーバーが最小限となるようシステムをよく洗浄し、ブランクの測定により確認する。

測定の前後で挟むのがポイントです。一連の分析中に感度がドリフトしていないかを確認する仕組みで、これはLC-MSトラブルシューティングで扱ったイオン源汚染の考え方と同じ発想です。

なお条文は、分析手順1または2と同等の結果が得られるかを確認する必要はないと明記しています。さらに◇の日局独自規定として、原子吸光光度法などの方法でも、バリデートされていればクロスバリデーションなしで使用できるとされています。手順1・2は選択肢であって、義務ではありません。

6. 試料調製 ― 密閉容器マイクロ波分解

スパイク添加から密閉容器マイクロ波分解、希釈、測定までの流れを示す図解
図解:条文は「被験試料には、試料調製法の手順を実施する前にスパイク溶液を添加しなければならない」と規定する。分解後に添加したのでは分解工程での損失を評価できない。密閉容器マイクロ波分解は加熱しても水銀やヒ素などの揮発性元素を逃さない。ブランク管理が成否を分ける。

条文は試料調製の種類として未処理試料、水溶液、有機溶媒溶液、分解処理溶液を挙げ、「被験試料の性質に応じ、適切な調製方法を選択する」としています。医薬品各条に規定がないときは適切にバリデートされた調製法を使わなければなりません。

固形製剤で標準的なのが密閉容器でのマイクロ波分解です。密閉容器を使う理由は明確で、加熱しても揮発性元素(水銀やヒ素)を失わないためです。前節で触れた <231> の600℃灰化で水銀を失った反省が、ここに効いています。

医薬品分野の実際の条件例として、メーカーのアプリケーションノートに次のような手順が示されています(Analytik Jena、USP <232>/ICH Q3D の24元素を対象とした例)。

項目 設定
試料量 0.2 g
硝酸(HNO₃) 1 mL
塩酸(HCl) 0.25 mL
過酸化水素(H₂O₂) 0.5 mL
脱イオン水 3.5 mL
前分解(室温) 15分
昇温(150℃まで) 15分
保持(150℃) 10分
冷却 30分
最終希釈 脱イオン水で50 mLへ(総希釈率 ×250)

条文にはスパイク(添加)の順序についても重要な規定があります。

適切なシグナル強度を得るために被験試料へ分析対象元素を添加する必要がある場合には、当該分析対象元素を、可能であれば同じスパイク溶液を用いてブランクにも添加するべきである。被験試料には、試料調製法の手順を実施する前にスパイク溶液を添加しなければならない。

分解の前に添加する――これは回収率の評価を成立させるための必須条件です。分解後に添加したのでは、分解工程での損失を評価できません。

そして条文が繰り返し強調するのが汚染対策です。「元素不純物は至るところに微量でも存在している可能性がある。したがって、試験に当たっては、試料中への汚染を避けるよう特別の注意を払う必要がある」。PFAS分析で扱った背景汚染と同じ構図で、ブランク管理が成否を分けます

水銀という難物 ― 「適切な安定剤」の中身

条文は分析手順1・2のどちらでも、試料原液の調製について淡々とこう書いています。

水銀の定量の際は、◇必要に応じて◇適切な安定剤を加える。

この一行が指しているのは、水銀がICP-MSにとって特別に厄介な元素だという事実です。理由は2つあります。

第一に、そもそも感度が出にくい。 水銀は第一イオン化エネルギーが10.44 eVと高く、プラズマ中で相対的にイオン化されにくいため感度が低くなります。加えて天然同位体が7種類あり、それぞれの存在比が低いため、1つの同位体あたりの感度がさらに下がります。クラス1の4元素(As・Cd・Hg・Pb)のなかでも際立って測りにくい相手です。

第二に、メモリー効果が強い。 水銀は試料導入系の表面に吸着し、前の試料の水銀が次の測定に持ち越されます。無添加では室温で数時間のうちに溶液が不安定になることも報告されています。

対策として広く用いられているのが金(Au³⁺)の添加です。試料希釈液・標準溶液・洗浄液のすべてに加えるのが基本で、報告されている効果は具体的です。

  • 金を添加すると水銀溶液は48時間以内は安定で、変動係数は5%以内に収まった
  • 金と水銀の比が2:1のとき、メモリー効果が有意に減少した
  • 塩酸(HCl)も水銀の安定化に寄与する

医薬品の元素不純物分析(USP <232><233>)の文脈でも、Au³⁺とHClを用いた調製がメモリー効果を解消し、試料の安定性を延ばし、装置のRSDを下げたと報告されています。

つまり条文の「適切な安定剤」とは、実務上は金を含む酸性の希釈液系を指していると読むのが自然です。水銀だけキャリーオーバーが落ちないという症状に心当たりがあるなら、洗浄液にも金が入っているかを確認する価値があります。

7. 干渉との戦い ― 塩化アルゴンとコリジョン/リアクションセル

ヒ素のm/z75に塩化アルゴンが重なる干渉と、コリジョンセル・冷却スプレーチャンバーによる対策を示す図解
図解:試料調製で入れた塩酸の塩素とプラズマガスのアルゴンから ⁴⁰Ar³⁵Cl⁺ が生成し、単核種であるヒ素 ⁷⁵As⁺ と同じ m/z 75 に完全に重なる。対策は①コリジョン/リアクションセル(多原子イオンは見かけが大きく衝突でエネルギーを失うため排除できる)②冷却スプレーチャンバー(溶媒導入量を減らし酸化物イオン等の生成を抑える)。

ICP-MSの最大の敵はスペクトル干渉です。プラズマガスのアルゴン、溶媒、酸などが結合して多原子イオンを作り、目的元素と同じm/zに現れます。

条文が例として挙げているのが、まさに代表例です。

マトリックスによる干渉(例:ヒ素の検出における塩化アルゴンの干渉)を補正するために適切な対策を講じなければならない

ヒ素は m/z 75 で測りますが、塩酸を含む試料では ⁴⁰Ar³⁵Cl⁺ が同じ m/z 75 に重なります。ヒ素は単核種元素なので別の質量に逃げることができません。前節の分解条件に塩酸が入っていたことを思い出してください――試料調製で入れた酸が、そのまま干渉源になるわけです。

対策として条文が挙げているのが次の2つです。

モード:ICP {注:冷却噴霧室(スプレーチャンバー)付装置が有効な場合がある〔衝突(コリジョン)セル又は反応(リアクション)セルの使用も有益であろう〕}

  • コリジョン/リアクションセル:セル内にガスを導入し、多原子イオンを選択的に減らす仕組み。ヘリウムを使う衝突モードでは、多原子イオンのほうが目的元素のイオンより衝突断面積(見かけの大きさ)が大きいため、衝突で運動エネルギーを多く失います。セル出口の電位障壁でエネルギーの低い干渉種を遮断することで、目的元素だけを通します。
  • 冷却スプレーチャンバー:噴霧室を冷却して溶媒の導入量を減らし、酸化物イオンなどの生成を抑えます。前掲のアプリケーションノートでも噴霧室温度3℃が設定されています。

実際の医薬品分析では、ヘリウムと水素の2つのセルガスモードを使い分ける例が公表されており、Cr、As、Se、V、Cu といった元素の分光学的干渉の除去に有効とされています。

用語補足:多原子イオン干渉は、複数の原子が結合したイオンが目的元素と同じ質量電荷比に現れる現象。⁴⁰Ar³⁵Cl⁺(m/z 75)による⁷⁵As⁺への干渉が代表例。

8. バリデーション要件 ― 限度試験と定量試験

定量試験と限度試験のバリデーション適合基準をまとめた図解
図解:定量試験は真度(添加回収率)70〜150%、併行精度RSD 20%以下、室内再現性RSD 25%以下、定量限界は目標濃度の50%以下(日局独自規定)。限度試験の検出限界は、目標濃度を添加した試料の3回測定平均が標準溶液(1.0J)の±15%以内。極微量域を多様なマトリックスで測るための現実的な基準になっている。

〈2.66〉IIは、限度試験か定量試験かでバリデーションのレベルを分けています

限度試験の要件

項目 適合基準
検出限界 機器を用いた手順では、添加試料溶液1(目標濃度)の3回測定の平均が標準溶液(1.0J)の平均の±15%以内。添加試料溶液2(目標濃度の80%)は標準溶液より小さい値を示すこと
特異性 他の分析対象元素やマトリックス成分の存在下でも各元素を特異的に評価できること
精度(併行精度) 目標濃度を添加した独立した6個の試料溶液で、相対標準偏差が各元素20%以下

定量試験の要件

項目 適合基準
真度 目標濃度の50〜150%の範囲にある3濃度(調製後0.5〜1.5Jの範囲)で各3試料。添加回収率の平均が70〜150%
精度(併行精度) 独立した6試料、または3濃度×3回など9回以上の繰り返し。RSDが各元素20%以下
精度(室内再現性) 分析日・装置・分析者のいずれかを変えて再実施し、併行精度の結果と合わせてRSDが25%以下
特異性 限度試験と同じ
範囲及び直線性 真度の要件を満たすことにより示す
定量限界 真度の適合基準に適合するとき確認できる。目標濃度の50%以下でなければならない(◇日局独自規定)

回収率70〜150%、RSD 20%以下という基準は、有機化合物の分析法バリデーションに慣れているとかなり緩く見えます。これはµg/g〜ng/mLという極微量域を、多様なマトリックスの中で測るという現実を反映したものです。裏を返せば、この範囲に収まらないなら試料調製か干渉除去に問題があるという判断基準にもなります。

なお◇の日局独自規定として、妥当である場合には、元素不純物含量の評価目的に応じてバリデーションの方法及び基準値を変更してもよいとされ、また〈2.63〉誘導結合プラズマ発光分光分析法及び誘導結合プラズマ質量分析法に記載のシステム適合性基準を満たす上で必要な要件と異なる場合があるとも明記されています。

9. 分析者の視点 ― 実務の勘所と落とし穴

設計ステップと代表的な落とし穴を対比した図解
図解:設計は「①適用確認とPDE確定 → ②Jの算出(設計の起点)→ ③試料調製と干渉対策 → ④システム適合性」の順。落とし穴はJを決めずに標準溶液を作る、スパイクを分解後に入れる、塩酸を使いながら干渉対策をしない、日局独自規定(◇)を無視して海外手順をそのまま移植する、の4つ。

条文を運用手順に落とします。

  1. 適用対象かを確認する。 生薬、ワクチン、細胞・遺伝子製品などは対象外です。まずここで線を引きます。
  2. 投与経路とPDEを確定する。 経口・注射・吸入・皮膚適用でPDEが違います。注射剤の2 L上限、皮膚適用製剤のCTCLも確認します。
  3. 目標限度値を計算し、Jを決める。 PDE ÷ 最大一日投与量。有意性の評価なら管理閾値(PDEの30%)。装置の直線範囲に入る希釈率からJを算出します。ここが設計の起点です。
  4. 手順1(ICP-OES)か手順2(ICP-MS)かを選ぶ。 感度が要る元素はICP-MS。バリデートすれば原子吸光でもかまいません。
  5. 試料調製をバリデートする。 密閉容器マイクロ波分解が標準。スパイクは分解前に添加します。
  6. 干渉対策を組み込む。 塩酸を使うならヒ素のArCl干渉は必発。コリジョン/リアクションセル、冷却スプレーチャンバーを検討します。
  7. システム適合性を測定の前後で挟む。 偏差20%以下。
  8. 限度試験か定量試験かでバリデーション要件を選ぶ。

よくある落とし穴を挙げます。

  • Jを決めずに標準溶液を作ろうとする。 目標限度値と装置の直線範囲の両方を見ないとJは決まりません。
  • スパイクを分解後に入れる。 条文が「試料調製法の手順を実施する前に」と明記しています。分解での損失を評価できなくなります。
  • 塩酸を使いながらヒ素のArCl干渉を無視する。 試料調製で入れた酸が干渉源になります。
  • 開放系で灰化する。 水銀・ヒ素を失います。密閉容器が原則です。
  • 日局独自規定(◇)を読まずに海外の手順を移植する。 定量限界50%以下や標準物質のCRM要件など、日本独自の条件があります。
  • ブランク管理を軽視する。 元素不純物は環境中に遍在します。器具・試薬・水すべてが汚染源になり得ます。
  • 水銀の安定剤を試料側にしか入れない。 メモリー効果を断つには洗浄液と標準溶液にも入れる必要があります。

規制対応という点では、残留溶媒分析JP19 クロマトグラフィー総論〈2.00〉と同じ読み方が有効です。条文は禁止事項だけでなく、選択の自由度も書いています。

まとめ

元素不純物とICP-MSの3つの要点をまとめた図解
図解:①位置づけの明確化=JP18から判定基準は不変で、三薬局方調和・非調和(◆)・日局独自規定(◇)が可視化された ②設計の起点はJ=PDEと一日投与量から目標限度値を出し装置の直線範囲から算出、Jが決まらなければ標準溶液は作れない ③実務の要点=密閉容器分解、分解前のスパイク添加、塩化アルゴン干渉へのコリジョン/リアクションセル、測定前後のシステム適合性(偏差20%以下)。
  • JP19〈2.66〉の改正は「II. 元素不純物試験法」の調和。 薬局方調和国際会議で新規に調和合意された内容が反映され、非調和箇所(◆)と日局独自規定(◇)が条文上で可視化されました。JP18と突き合わせると判定基準の数値は変わっていません――変わったのは位置づけです。海外薬局方に合わせるとき、どこが日本独自かを条文から読めるようになった点が実務価値です。
  • 設計の起点はJ。 PDEを最大一日投与量で除して目標限度値を出し、装置の直線範囲に入る希釈率からJを決める。標準溶液は1.5Jと0.5J、検出限界の確認は1.0J。Jが決まらないと何も作れません。
  • 手順1(ICP-OES)と手順2(ICP-MS)は選択肢。 バリデートすれば原子吸光などでもクロスバリデーションなしで使えます。実務の要点は、密閉容器マイクロ波分解で揮発性元素を逃さないこと分解前にスパイクすることヒ素の塩化アルゴン干渉をコリジョン/リアクションセルなどで潰すこと、そしてシステム適合性を測定前後で挟むこと(偏差20%以下)。

用語集

  • 元素不純物:原薬の触媒残留、原料由来の天然不純物、製造機器や容器施栓系からの混入など、複数の起源で製剤に混入する元素。
  • PDE(許容一日曝露量):毒性データの評価に基づき設定された、1日当たりに許容される元素の摂取量(µg/day)。
  • CTCL:皮膚及び経皮濃度限度値。皮膚適用製剤で感作性のある元素に適用され、PDEと併せて満たす必要がある。
  • 管理閾値:PDEの30%。元素不純物量の有意性を評価する際の目安(日局独自規定)。
  • J:標準溶液および試料溶液中の対象元素の最終濃度。目標限度値を装置の稼働範囲に希釈した濃度に相当する。
  • ICP-OES(ICP-AES):誘導結合プラズマ発光分光分析法。分析手順1で用いる。
  • ICP-MS:誘導結合プラズマ質量分析法。分析手順2で用いる。
  • 多原子イオン干渉:複数原子が結合したイオンが目的元素と同じm/zに現れる現象。⁴⁰Ar³⁵Cl⁺のm/z 75による⁷⁵As⁺への干渉が代表例。
  • コリジョン/リアクションセル:セル内にガスを導入して干渉イオンを選択的に除去する機構。
  • CRM(認証標準物質):値付けと不確かさが認証された標準物質。〈2.66〉は原則としてNMIのCRMまたはそれにトレーサブルなものを求める。

出典

  • 厚生労働省「第十九改正日本薬局方」(令和8年4月10日厚生労働省告示第193号)一般試験法 2.66 元素不純物 — https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/001689414.pdf
  • 独立行政法人医薬品医療機器総合機構「第十八改正日本薬局方 2.66 元素不純物」 — https://www.pmda.go.jp/files/000241439.pdf
  • 独立行政法人医薬品医療機器総合機構 審査マネジメント部「第十九改正日本薬局方(令和8年4月10日厚生労働省告示第193号)の概要」 — https://www.pmda.go.jp/files/000280169.pdf
  • 独立行政法人医薬品医療機器総合機構「ICH-Q3 不純物」(Q3D 最新版R2、日本語版通知 2023年1月20日) — https://www.pmda.go.jp/int-activities/int-harmony/ich/0043.html
  • Analytik Jena「Elemental impurities in Pharmaceutical Materials according to new ICH Guidelines and USP Chapters <232> and <233>」アプリケーションノート — https://www.analytik-jena.com/import/assets/12562389_AppNote_ICPMS_0015_pharma_ICH_USP_en.pdf
  • USP「USP Chapters <232> and <233> Implementation Strategy」 — https://www.usp.org/sites/default/files/usp/document/get-involved/stakeholder-forums/4a-usp-overview-elemental-impurities-2016-09-29.pdf
  • Agilent Technologies「Measuring Elemental Impurities in Pharmaceutical Materials」 — https://www.agilent.com/cs/library/brochures/brochure-atomic-spectro-pharma-5991-8140en-agilent.pdf
  • 「Determination of the Memory Effect and Stability of Mercury by ICP-MS」中国薬学雑誌 — https://journal11.magtechjournal.com/Jwk_zgyxzz/EN/10.11669/cpj.2019.01.011
  • Spectroscopy Online「Validating ICP-MS for the Analysis of Elemental Impurities According to Draft USP General Chapters <232> and <233>」 — https://www.spectroscopyonline.com/view/validating-icp-ms-analysis-elemental-impurities-according-draft-usp-general-chapters-and
  • LabRulez / ICP-MS Journal(水銀のイオン化エネルギーと同位体存在比に関する記述) — https://gcms.labrulez.com/

制作メモ:本記事は、厚生労働省告示による日本薬局方原文(JP19・JP18)、PMDA公表資料という一次情報を編集側が直接取得・照合して執筆しました。JP18とJP19の〈2.66〉を突き合わせ、判定基準が不変であることと調和ステータスの変更を条文レベルで確認しています。試料調製・干渉除去の実務部分についてはNotebookLMのディープリサーチ(94件のソースを取り込み)を下書きとして用いましたが、生成された草稿は特定メーカーの視点に強く偏り医薬品以外の応用が中心だったため採用せず、医薬品分野の公式アプリケーションノート等で裏付けの取れた事項のみを記載しています。水銀に関する節は、同じソース群に個別質問を投げて返された逐語引用と出典URLを突き合わせ、引用の裏付けがない記述(URLを持たない合成文書に由来するものを含む)を除外したうえで、公開されている研究・技術記事で再確認して追記しました。実運用にあたっては告示原文をご確認ください。