2026年4月1日、PFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)とPFOA(ペルフルオロオクタン酸)が水道水の水質基準項目になりました。それまでの「水質管理目標設定項目」=努力義務から、水質検査の実施と基準遵守が法的義務へ格上げされたということです。基準値は両者の合算で 0.00005 mg/L(50 ng/L)以下、検査頻度はおおむね3か月に1回以上が基本とされます(環境省、2025年6月30日公布)。
50 ng/L は「1リットルの水に50ナノグラム」、つまりng/L(ppt=1兆分の1)オーダーの世界です。しかも公定法では基準値の1/10、5 ng/L まで測定できることの確認が求められます。この領域では、分析の成否を分けるのは装置のカタログスペックではなく、前処理・内部標準・そして「装置自身が汚染源になる」問題をどう抑えるかです。
本記事は、まず制度と公定法(告示法)の改正点を正確に押さえ、次にng/Lオーダーの定量を成立させる技術的な勘所を、実務の順に解説します。分析を受託する側・依頼する側のどちらにも使える形にまとめました。
その勘所の中心にあるのが同位体希釈法です。目的物質と同じ挙動をする安定同位体標識体を先に加えておけば、前処理のロスも吸着もイオン抑制も 比を取って打ち消せる。ただし、この方法には「その物質の標識体が手に入る」という前提があります。米国 EPA の多媒体法 Method 1633A は この前提を正直に書いています。
This method procedure calibrates and quantifies 40 target analytes, using the isotopically labeled compounds added to the sample prior to extraction, by one of two approaches: • True isotope dilution quantification (ID), whereby the response of the target analyte is compared to the response of its isotopically labeled analog. Twenty-four target compounds are quantified in this way. • Extracted internal standard quantification (EIS), whereby the response of the target analyte is compared to the response of the isotopically labeled analog of another compound with chemical and retention time similarities. Sixteen target compounds are quantified in this way. (US EPA Method 1633A, Section 10.3, 2024年12月。強調は筆者)
40 物質のうち「真の同位体希釈」は 24 物質(60 %)で、16 物質(40 %)は別の化合物の標識体で代用している(割合は筆者の計算)。 日本の基準 2 物質(PFOS・PFOA)と要検討の PFHxS は、幸い 3 つとも自分の標識体を持つ側です。しかし要検討 8 物質へ、さらに 40 物質へと 対象を広げるほど、「同位体希釈法だから補正できている」が成り立たない物質が混ざってきます。4 節でこの内訳を見ます。
この記事の読み方:前半(1〜3節)は制度と前処理で、これから対応を始める方や入門者向けに噛み砕きます。後半(4〜8節)は同位体希釈法・背景汚染・異性体・総量指標と、現場の分析者・研究者向けに踏み込みます。専門用語は初出時に短く補足します。
1. 2026年4月に何が変わったのか ― 努力義務から法的義務へ

変更点を時系列で整理します(環境省、神奈川県衛生研究所)。
- 令和2年〜2026年3月:PFOS・PFOAは水質管理目標設定項目で、合算50 ng/Lは「暫定目標値」。水質検査は努力義務でした。
- 2025年6月30日:環境省が「水質基準に関する省令の一部を改正する省令」および「水道法施行規則の一部を改正する省令」を公布。パブリックコメントには2,734件の意見が寄せられました。
- 2026年4月1日:施行。PFOS・PFOAが水質基準項目となり、水道事業者等に定期的な水質検査と基準遵守の義務が生じます。検査頻度はおおむね3か月に1回以上が基本です。
用語補足:水質基準項目は水道水が必ず適合しなければならない法的な基準(水道法・省令)。水質管理目標設定項目は将来的な検討対象で、検査は努力義務にとどまる。今回はこの格上げが起きた。
あわせて押さえるべき動きが3つあります。
- 要検討項目の拡充:従来のPFHxSに加え、PFBS・PFBA・PFPeA・PFHxA・PFHpA・PFNA・HFPO-DA(GenX)の7物質が要検討項目に追加され、計8物質が要検討PFASとなりました。基準対象は2物質でも、実務上は10物質前後を一斉分析できる体制が求められる、ということです。
- 公共用水域・地下水:指針値として水道水と同じ50 ng/Lが設定されています。
- 食品側も同時に動いた:2025年6月30日の告示改正で、清涼飲料水の製造基準およびミネラルウォーター類(殺菌・除菌を行うもの)の成分規格等にPFOS・PFOAの規格(合算50 ng/L以下)が追加されました。経過措置は2026年3月31日製造品までです。
つまり、水道・環境水・食品の3方向で同時に検査需要が立ち上がる年になります。
2. 告示法(別表第45)の改正を読む ― 実務で効く3つの変更

基準ができれば、それを測る公定法(告示法)が要ります。PFOS・PFOAは水質基準項目への格上げに伴い、水道水質検査方法の告示に別表第45として追加されました。ISO法および米国EPA法を参考に、16機関によるバリデーション試験を経て設定されたものです(富士フイルム和光純薬による総説)。
分析法の骨格は次のとおりです(国立医薬品食品衛生研究所「水道水質検査マニュアル」)。
- 検水に13C標識内部標準物質を添加する
- 固相抽出で精製・濃縮して試験溶液とする
- LC-MS(SIM法)またはLC-MS/MS(SRM法)で測定し、内部標準法で定量する
そのうえで、実務に直接効く改正が3点あります。
| 項目 | 従来 | 改正後 |
|---|---|---|
| 濃縮倍率 | 検水500 mLを1000倍濃縮 | 10〜1000倍の範囲で選択可に柔軟化 |
| 標準液 | 用時調製 | 冷凍保存で6か月まで可 |
| 測定イオン | ― | PFOS:m/z 499(SIM)/ 499>80(SRM)、PFOA:m/z 413(SIM)/ 413>369(SRM) |
濃縮倍率の柔軟化は地味に見えて効果が大きい変更です。従来の500 mL・1000倍濃縮は、通水に約100分かかるうえ、濃縮の過程で結晶が析出する問題がありました。感度に余裕がある装置なら濃縮倍率を落とせるため、1検体あたりの処理時間と失敗リスクを下げられます。標準液の冷凍6か月保存も、検査頻度が上がる現場では調製工数の削減に直結します。
なお定量下限は、PFOS・PFOAを 5 ng/L(0.000005 mg/L)まで測定できることの確認が求められます。基準値50 ng/Lの1/10を見に行く設計です。
この 5 ng/L が国際的にどの位置にあるかは、EPA Method 1633A の多機関バリデーションの数値と並べると分かります。
| 物質 | 1633A プール MDL(水、ng/L) | 1633A LOQ の範囲(水、ng/L) | 日本の告示法が求める確認 |
|---|---|---|---|
| PFOA | 0.54 | 1〜4 | 5 ng/L |
| PFOS | 0.63 | 1〜4 | 5 ng/L |
| PFHxS | 0.54 | 1〜4 | (要検討項目) |
| PFBA(短鎖) | 0.79 | 4〜16 | (要検討項目) |
| 5:3FTCA・7:3FTCA | 9.59・8.71 | 25〜100 | ― |
(US EPA Method 1633A, Table 9「Pooled MDL and Ranges of LOQ Values」から筆者が抜粋)
PFOS・PFOA については、複数機関での定量下限が 1〜4 ng/L に収まっており、日本の 5 ng/L は「多機関で再現できた LOQ のすぐ上」に置かれた 現実的な要求だと読めます。一方で同じ表の中に、LOQ が 25〜100 ng/L の物質(フルオロテロマーカルボン酸)もあります。 基準値 50 ng/L と同じ桁です。「PFAS を測れる」は物質ごとに桁が違う、という事実がこの表の要点です。
3. 前処理 ― 固相抽出の選択と「濃縮しないと届かない」現実

ng/Lオーダーを測るには、濃縮が前提です。ここで使うのが固相抽出(SPE:Solid Phase Extraction)で、告示法では陰イオン交換基を被覆したシリカゲルまたはポリマー系充填剤を用いると規定され、具体例として Oasis WAX、InertSep MA-2 等が示されています。
用語補足:固相抽出(SPE)は、試料を吸着剤(カートリッジ)に通して目的成分だけを捕まえ、少量の溶媒で溶出させて濃縮・精製する前処理。WAXは弱陰イオン交換(Weak Anion eXchange)の意。
固相の選択は、どこまでの物質を対象にするかで決まります。国際的な標準法の設計がそれを端的に示しています(US EPA、ALS)。
- EPA 537.1:SDVB(スチレン・ジビニルベンゼン)系のSPEで18物質。疎水性相互作用が主体のため、短鎖のPFASや前駆体は保持しにくい。
- EPA 533:WAX系のSPEで25物質。イオン交換で保持するため、短鎖PFAS・フルオロテロマースルホン酸・前駆体をカバーできる。537.1と併用すると29物質に届きます。
- EPA 1633(Revision A, 2024年12月):水・固体・組織まで対象にした多媒体法で40物質。EPAと米国防省(DoD)が検証した初の多媒体PFAS法です。
日本の告示法がWAX系を軸にしているのは、短鎖側まで見据えた設計という点で EPA 533 と同じ思想です。要検討項目にPFBA・PFPeA(炭素数4・5の短鎖)が入ったことを考えると、この選択は合理的です。
一方で、食品・土壌・血液のような複雑なマトリックスでは、SPEでの共存成分の除去が不十分になりがちで、それが後述するイオン抑制につながります。水以外の媒体に広げるときは、媒体ごとにクリーンアップを設計し直す必要があります。
4. 同位体希釈法 ― ng/Lオーダーを成立させる唯一の解

pptレベルの分析では、外標準法(検量線だけで定量する方法)は成立しません。理由は3つあり、いずれも避けられません。
- 前処理(SPE・濃縮)での回収ロス
- 流路や容器への吸着(PFASは吸着しやすい)
- マトリックス成分によるイオン抑制(イオン化が妨げられ感度が落ちる)
これらを一括で補正する方法が、13C標識内部標準物質を用いた同位体希釈法です。炭素を安定同位体13Cに置換した内標は、化学的性質が目的成分とほぼ同一なので抽出・分離の挙動が一致し、質量分析では質量差で区別できます。したがって、ロスも吸着もイオン抑制も「目的成分と内標に同じだけ起きる」ため、比を取れば打ち消せます。
告示法・検査マニュアルでは 13C-PFOS、13C-PFOA、13C-PFHxS または 18O-PFHxS の使用が規定され、市販品には 13C4-PFOS、13C8-PFOS、13C2-PFOA など複数種があります。選定時は「直鎖体を主成分とするもの」を選ぶとされている点が、次の異性体の議論に効いてきます。
用語補足:同位体希釈法は、目的成分の安定同位体標識体を既知量加え、両者の応答比から濃度を求める方法。前処理の損失を原理的に補正できるため、微量分析の標準的手法。
「唯一の解」の前提 ― 標識体が無い物質はどう測っているか
冒頭に引いたとおり、EPA Method 1633A の 40 物質のうち自分の標識体で補正できるのは 24 物質です。残り 16 物質が何を使っているかは、 同法の Table 10(定量に用いる参照化合物)に列挙されています。抜粋します。
| 目的物質 | 定量に使う標識体 | 備考 |
|---|---|---|
| PFPeS(C5 スルホン酸) | ¹³C₃-PFHxS | 炭素数が 1 つ違う隣の物質の標識体 |
| PFHpS・PFNS・PFDS・PFDoS | ¹³C₈-PFOS | C7・C9・C10・C12 のスルホン酸をすべて PFOS の標識体で |
| PFTrDA(C13 カルボン酸) | ¹³C₂-PFTeDA と ¹³C₂-PFDoA の平均 | 両隣の標識体の面積平均 |
| ADONA・9Cl-PF3ONS・11Cl-PF3OUdS | ¹³C₃-HFPO-DA | 構造の異なるエーテル系 3 物質を GenX の標識体で |
| PFMPA・PFMBA・3:3FTCA | ¹³C₅-PFPeA | |
| NFDHA・PFEESA・5:3FTCA・7:3FTCA | ¹³C₅-PFHxA |
(US EPA Method 1633A, Table 10 から筆者が抜粋。合計 16 物質)
たとえば PFDoS(炭素数 12)は PFOS(炭素数 8)の標識体で定量されます。保持時間は 9.14 分と 7.59 分で 1.5 分離れており、 溶出する位置が違えば、共存成分によるイオン抑制の受け方も、SPE での回収率も同じとは限りません。EIS 定量では「ロスも抑制も同じだけ起きる」という 同位体希釈法の前提が、近似に置き換わっています。方法はそれを承知で、EIS 化合物の回収率に許容範囲を設け(同法 Table 6・8)、 逸脱すれば結果にフラグを付ける設計にしています。
もう一つ、Table 9 と Table 10 を並べると気づくことがあります。LOQ が 25〜100 ng/L と桁違いに悪い 5:3FTCA・7:3FTCA は、 どちらも自分の標識体を持たず ¹³C₅-PFHxA で代用されている物質です。標識体の有無と定量性能が相関しているように見えますが、 原因(標識体の不在か、物質固有の挙動か)は同法からは読み取れません(筆者の観察。未確認・限界の節)。
日本の告示法が対象とする PFOS・PFOA・PFHxS は、いずれも自分の標識体(¹³C-PFOS、¹³C-PFOA、¹³C/¹⁸O-PFHxS)を使う「真の同位体希釈」です。 対象を要検討 8 物質、さらにその先へ広げるときは、物質ごとに「自分の標識体か、代用か」を確認し、代用ならその旨を報告書に残すことが、 データの比較可能性を守る最低限の作法になります。
この考え方は、金属表面への吸着で試料を失う問題への対処(UHPLCカラム技術の金属不活性化)とも通じます。「効率よく分けること」より「失わないこと」が定量を支配する領域だと捉えると理解しやすいはずです。
5. 最大の敵は装置自身 ― 背景汚染とデイレイカラム

PFAS分析に特有かつ最も厄介な問題が、装置と器具そのものが汚染源になることです。PFASはフッ素樹脂(PTFE等)に由来するため、LCの配管・シール・容器といった「普段は化学的に安全で便利な部材」が、そのままブランク値を押し上げます。
対策は二段構えです。
(1) 器具からフッ素樹脂を排除する。 検査マニュアルは「全ての操作においてPTFEが使用されている容器等を用いないこと」を原則としています。EPA Method 1633A も同じ趣旨を、容器の項に一行で書いています。
Note: Do not use PTFE-lined caps on sample containers. All containers must be demonstrated to be PFAS-free at or below the laboratory's MDLs for the target analytes by testing one or more representative containers from each lot. (US EPA Method 1633A, Section 6.1.1。強調は筆者)
「ロットごとに代表容器を試験して MDL 以下であることを示す」まで求めている点が、日本のマニュアルの「添加回収試験による確認」に対応します。PFASは吸着もしやすいため、容器を選ぶ際は添加回収試験による確認が必須です。ポリプロピレン製への置換などが実務上の定石になります。
(2) 流路由来の分は「遅らせて分離する」。 LCシステム内部のフッ素樹脂は完全には排除できません。そこで使うのがデイレイカラム(アイソレータカラム)です。高純度の活性炭を充填したカラムを、ポンプ/移動相ミキサーの後、インジェクター(試料導入)の前に設置します。こうすると、移動相や上流の部材から溶出したPFASはデイレイカラムに保持されて遅れて出てくるため、試料由来のピークと時間的に分離できます。装置由来分はシャープなピークではなくベースラインがわずかに持ち上がった帯として現れるのが特徴で、これにより試料のピークと確実に見分けられます(ジーエルサイエンス、Restek)。
ポイントは設置位置です。インジェクターより後ろに入れても意味がなく、「試料が入る前に上流の汚れを捕まえる」配置でなければ機能しません。 なお EPA Method 1633A が装置構成に挙げる「Trap/delay column」は活性炭ではなく C18 系(Purospher Star RP-18, 3 µm, 50×4 mm または同等品)です (同法 Section 6.10.4)。捕まえる原理が吸着(活性炭)か分配(逆相)かは違っても、「上流由来の PFAS を遅らせる」という役割は同じです。
6. 分岐異性体という落とし穴 ― 直鎖だけで測ると何が起きるか

PFOSやPFOAは、実環境では直鎖(linear)と分岐(branched)の異性体混合物として存在します。これは製法に由来します(Eurofins、Analytical Chemistry)。
- 電解フッ素化(ECF)で作られたPFASは、直鎖と分岐の両方を含む。ECF由来のPFOSは直鎖約70%・分岐約30%という分布が知られています。
- フルオロテロマー化(FT)由来は主に直鎖。
ここが定量の落とし穴です。直鎖のみの標準品で検量線を作り、実試料に含まれる分岐異性体を無視すれば、値は系統的にずれます。米国EPAはこの点に踏み込んでおり、分岐・直鎖を含む標準品が入手できる場合は、両者の応答を合算して1つの結果として報告する運用(2016年のTechnical Advisory、EPA 537.1、EPA 1633 Rev A)を採っています。1633A の条文はこうです。
Where linear and branched isomers are present in the sample and either qualitative or quantitative standards containing branched and linear isomers are commercially available, the PFAS analyte is reported as a single result calculated from the combined responses of the linear and branched isomers. (US EPA Method 1633A, Section 1.2。強調は筆者)
一方で日本の検査マニュアルは、内部標準について「直鎖体を主成分とするものを選定」と規定しています。基準適合の判定という目的には合理的ですが、方法の異なるデータを横並びに比較するとき(国際的な文献値や他機関のデータと突き合わせるとき)には、異性体の扱いが同じかどうかを必ず確認する必要があります。同じ「PFOS 30 ng/L」でも、何を測って合算したのかが違えば意味が変わるからです。
7. 総量指標とその死角 ― TOPアッセイ・AOF・そして超短鎖TFA

規制対象は数物質でも、環境中のPFASは膨大です。そこで「個別物質を追う」代わりに「総量で管理する」指標が使われます。
- TOPアッセイ(Total Oxidizable Precursor assay):試料を過硫酸塩等で酸化し、未知の前駆体をペルフルオロアルキルカルボン酸(PFCA)に変換して、その増分から前駆体の総量を推定します。生成したPFCAの組成から前駆体の鎖長の見当もつきます。消費者製品・土壌・地下水では前駆体が大半を占めることがあり、有力な手法です。
- AOF(吸着性有機フッ素):DIN 38409-59 に基づき認定分析が可能な、水中の有機フッ素総量の指標です。
ただし、両者には明確な限界があります。TOPアッセイは世界の研究室でプロトコルが多様に改変され、結果の比較が難しい状態にあることが総説で指摘されています(ACS ES&T Letters)。使うなら「どのプロトコルか」まで含めて記録すべき指標です。
そしてより本質的な死角が、超短鎖PFASです。トリフルオロ酢酸(TFA)は、HFC/HCFC冷媒の大気分解や農薬・医薬・工業化学品の分解によって生じ、雨水・地下水・地表水・飲料水・食品・ヒト血清まで広く検出されています。TFAは水溶性・移動性・持続性がいずれも極端に高く、不可逆的に蓄積することが指摘されています(Environmental Science & Technology)。研究例では、TFA・パーフルオロプロパン酸・トリフルオロメタンスルホン酸といった超短鎖PFASが、ターゲットPFAS総濃度の98%を占めたという報告もあります。
問題は、AOFやTOPアッセイがこれら超短鎖PFASを十分に捉えられない点です。つまり「総量指標で問題なし」と出ても、実際の汚染像を取り逃している可能性があります。未知物質まで含めた全体像を掴むには、高分解能質量分析(HRMS)によるノンターゲット/サスペクトスクリーニングが必要になります。この領域は解析の負荷が大きく、AI・機械学習によるスペクトル解析の応用が期待される分野でもあります。
8. 国際比較 ― 日本・米国・EUで「何を測るか」が違う

国際的な枠組みを並べると、日本の位置づけが見えます。
| 地域 | 指標 | 値 | 期限・根拠 |
|---|---|---|---|
| 日本 | PFOS + PFOA の合算 | 50 ng/L | 2026年4月1日施行(水質基準項目) |
| EU | Sum of PFAS(20物質の合計) | 0.1 µg/L(100 ng/L) | 飲料水指令 2020/2184、2026年1月12日までに適合 |
| EU | PFAS Total(全PFASの総量) | 0.5 µg/L(500 ng/L) | 同上(加盟国はいずれか/両方を選択可) |
| 米国 | 物質別(法規制は別途) | ― | 分析法は EPA 537.1(18物質)/ 533(25物質)/ 1633(40物質・多媒体) |
| 国際標準 | ― | ― | ISO 21675(飲料水・地表水・排水、SPE+LC-MS/MS) |
読み取れるのは、「厳しさ」を単純比較できないことです。日本は対象2物質に対して50 ng/Lという値で、EUは20物質の合計で100 ng/Lです。物質数が違うため、値の大小だけでは強弱を判断できません。EUの「PFAS Total」に至っては、前節のとおりそれを正確に測る単一の方法が存在しないという難問を抱えており、総フッ素分析などの代替法が検討されています。
実務的な含意はシンプルです。輸出入や海外案件が絡むなら、「どの枠組みの、どの指標で、何物質を測るのか」を最初に確定させること。ここを曖昧にしたまま分析を発注すると、データが目的に使えません。
9. 分析者の視点 ― 導入・運用のチェックリスト

これから体制を作る/見直す立場での実務手順を、優先順位順にまとめます。
- 器具・容器からフッ素樹脂を排除する。 「PTFE製の容器等を用いない」が原則。置換後は添加回収試験で吸着とロスを確認する。ここを飛ばすと以降の努力が無意味になります。
- デイレイカラムを正しい位置に入れる。 ポンプ/ミキサーの後、インジェクターの前。装置由来ブランクを試料ピークから時間的に切り離す。
- 13C標識内部標準を必ず使う。 同位体希釈法で回収ロス・吸着・イオン抑制を同時補正。内標は直鎖体主成分のものを選ぶ(告示法の規定)。
- 濃縮倍率を「10〜1000倍」の自由度の中で最適化する。 装置感度に余裕があるなら倍率を下げ、通水時間(従来は約100分)と結晶析出のリスクを減らす。定量下限5 ng/Lの確認は外せません。
- 基準2物質だけでなく、要検討の計8物質まで見据える。 短鎖側(PFBA・PFPeA等)をカバーするにはWAX系SPEと、それに合わせたLC条件が必要。メソッドパッケージ(島津ほか)は立ち上げの時間短縮に有効です。
- ブランク管理を工程に組み込む。 試薬・容器・流路のいずれからでも汚染は入ります。トラベルブランク・操作ブランクを定常的に走らせ、閾値を決めて運用する。
- 総量指標は「限界を書いた上で」使う。 TOPアッセイはプロトコルを明記し、AOF/TOPでは超短鎖(TFA等)を取り逃すことを前提に解釈する。
よくある失敗は、(1) 装置由来ブランクを試料由来と誤認して過大評価する、(2) 直鎖標準のみで分岐を含む試料を定量して系統誤差を出す、(3) 総量指標の値を「全PFAS」と誤解する、の3つです。いずれも分析の限界を明示できているかという一点に集約されます。
まとめ

PFAS分析は「高感度な装置を買えば終わり」ではなく、汚染をいかに持ち込まないかの勝負です。要点は3つです。
- 2026年4月1日から、PFOS・PFOAの水質検査は法的義務。合算50 ng/L、おおむね3か月に1回以上。告示法(別表第45)は濃縮倍率10〜1000倍の選択制と標準液の冷凍6か月保存で実用性が上がった。食品側(ミネラルウォーター類)も同値で動いている。
- ng/Lオーダーを成立させるのは、同位体希釈法と背景汚染対策。13C標識内標で回収ロス・吸着・イオン抑制を補正し、PTFE排除とデイレイカラムで装置由来PFASを切り離す。分岐異性体の扱いも方法間で揃える。ただし EPA 1633A の 40 物質のうち自分の標識体で補正できるのは 24 物質で、残り 16 物質は別の化合物の標識体による近似。対象を広げるほど「同位体希釈法だから正しい」は成り立たなくなる。
- 総量指標(TOP・AOF)には死角がある。プロトコル依存性が大きく、TFAのような超短鎖PFASを取り逃す。全体像にはHRMSのノンターゲット分析が要る。
規制対応は「決められた値を測る作業」に見えますが、実態は微量分析の総合力が問われる仕事です。質量分析の周辺技術は質量分析の最新技術動向、LC側の作り込みはHPLC/UHPLCカラムの選び方もあわせて参照してください。
未確認・限界
- 「24 物質/16 物質」「60 %」は EPA Method 1633A(2024 年 12 月版)の Section 10.3 と Table 10 に基づく数値で、割合は筆者の計算です。 日本の告示法(別表第45)は対象 2 物質のため、同じ内訳は存在しません。
- 「標識体の無い物質は LOQ が悪い」は Table 9 と Table 10 を並べた筆者の観察で、因果関係は同法からは読み取れません。 5:3FTCA・7:3FTCA の LOQ が悪い理由は、物質固有の挙動(保持・イオン化・安定性)である可能性があります。
- 日本の告示法(別表第45)および国立医薬品食品衛生研究所の検査マニュアルの原文は、今回の改稿では再取得できませんでした (環境省・国衛研のページ構成が変わり、初出時の URL が 404)。初出時に確認した内容(500 mL・1000 倍濃縮、10〜1000 倍の選択制、 5 ng/L、直鎖体主成分の内標)をそのまま残しています。
- EPA Method 1633A の Table 9 の値は多機関バリデーション研究で得られた「プール MDL」と「LOQ の範囲」であり、個々の機関の実力値ではありません。 同表の脚注は、埋立地浸出水とバイオソリッドでは 5〜10 倍高くなる見込みと注記しています。
- デイレイカラムの充填剤について、日本のメーカー資料(活性炭)と EPA 1633A(C18 系)が異なることは本文に記しましたが、 両者の捕捉性能を比較した資料は確認していません。
- EU 飲料水指令・ISO 21675 の条文は原文を確認していません(業界団体・LCGC の解説に基づく)。
- TOP アッセイ・TFA の記述は ACS 掲載論文の要旨に基づくもので、本文(有料)は確認していません。
- 調査で得た資料のうち、URL を持たない生成文書に由来する数値は採用していません。
用語集
- PFAS:ペルフルオロアルキル化合物およびポリフルオロアルキル化合物の総称。強固なC–F結合により難分解性で、環境中に残留しやすい。
- PFOS / PFOA:ペルフルオロオクタンスルホン酸/ペルフルオロオクタン酸。2026年4月から水道水の水質基準項目(合算50 ng/L以下)。
- 水質基準項目/水質管理目標設定項目:前者は水道水が必ず適合すべき法的基準、後者は努力義務の検討対象。PFOS・PFOAは後者から前者へ格上げされた。
- 固相抽出(SPE):吸着剤に試料を通して目的成分を捕集・濃縮・精製する前処理。PFASではWAX(弱陰イオン交換)系が主流、EPA 537.1はSDVB系。
- 同位体希釈法:13C等の安定同位体標識体を内部標準に用い、応答比から定量する方法。回収ロス・吸着・イオン抑制を原理的に補正できる。
- イオン抑制:共存成分によりイオン化が妨げられ感度が低下する現象。複雑なマトリックスで顕著。
- デイレイカラム(アイソレータカラム):高純度活性炭を充填し、装置・移動相由来のPFASを遅延させて試料ピークと分離するカラム。ポンプ後・インジェクター前に設置。
- 分岐/直鎖異性体:ECF(電解フッ素化)製PFASは直鎖約70%・分岐約30%の混合物。定量では両者の扱いを標準品と報告ルールで揃える必要がある。
- TOPアッセイ:未知の前駆体を酸化してPFCAに変換し、その増分から前駆体総量を推定する手法。プロトコル依存性が大きい。
- AOF(吸着性有機フッ素):DIN 38409-59に基づく水中有機フッ素の総量指標。超短鎖PFASは捉えにくい。
- 超短鎖PFAS/TFA:トリフルオロ酢酸など炭素数の非常に少ないPFAS。冷媒等の分解で生成し遍在するが、既存の総量指標では捉えにくい。
出典
- 環境省「『水質基準に関する省令の一部を改正する省令』及び『水道法施行規則の一部を改正する省令』の公布等について」(2025-06-30公布、2026-04-01施行、0.00005 mg/L以下、検査頻度おおむね3か月に1回以上、公共用水域・地下水の指針値、パブコメ2,734件) — https://www.env.go.jp/press/press_00075.html
- 国立医薬品食品衛生研究所「水道水質検査マニュアル:PFOS・PFOA・PFHxS」(WAX系固相=Oasis WAX/InertSep MA-2、500 mL・1000倍濃縮、13C-PFOS/13C-PFOA/13C-PFHxS・18O-PFHxS、直鎖体主成分の内標選定、定量下限5 ng/L、PTFE製容器を用いない原則、添加回収試験) — https://www.nihs.go.jp/dec/section3/manual/pfas.html
- 富士フイルム和光純薬 siyaku blog「令和8年4月の水道水質検査方法告示(告示法)の改正について」(別表第45、ISO・EPA法を参考に16機関でバリデーション、濃縮倍率10〜1000倍の選択制、標準液の冷凍6か月保存、PFOS m/z 499>80・PFOA m/z 413>369) — https://labchem-wako.fujifilm.com/jp/siyaku-blog/042487.html
- 神奈川県衛生研究所 衛研ニュース No.232「水道水質基準等の改正について」(要検討項目にPFBS・PFBA・PFPeA・PFHxA・PFHpA・PFNA・HFPO-DAの7物質追加=計8物質、暫定目標値から基準への格上げ) — https://www.pref.kanagawa.jp/sys/eiken/005_databox/0504_jouhou/0601_eiken_news/files/eiken_news232.htm
- 国立医薬品食品衛生研究所 小林憲弘「PFOS・PFOAの検査法 検討状況について」(2025-08-08、環境省資料) — https://www.env.go.jp/content/000334173.pdf
- 農林水産省「食品中のPFASに関する情報」(食品・農畜水産物中PFASの受託分析機関一覧等) — https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/PFAS/index.html
- US EPA「EPA PFAS Drinking Water Laboratory Methods」(EPA 537.1/533の位置づけ) — https://www.epa.gov/pfas/epa-pfas-drinking-water-laboratory-methods
- US EPA「Method 1633A: Analysis of Per- and Polyfluoroalkyl Substances (PFAS) in Aqueous, Solid, Biosolids, and Tissue Samples by LC-MS/MS」(2024-12、全 78 ページ。本文を取得して引用)― Section 1.2(分岐・直鎖の合算報告)、Section 6.1.1(PTFE ライナー付き蓋の禁止、ロットごとの容器試験)、Section 6.10.4(Trap/delay column は C18 系)、Section 10.3(40 物質を ID 24 物質/EIS 16 物質で定量)、Table 9(水の プール MDL:PFOA 0.54・PFOS 0.63 ng/L、LOQ 1〜4 ng/L、5:3FTCA・7:3FTCA は 25〜100 ng/L)、Table 10(各物質の定量参照化合物)。 — https://www.epa.gov/system/files/documents/2024-12/method-1633a-december-5-2024-508-compliant.pdf
- ALS「PFAS sampling methods: EPA 533 vs 537.1 vs 1633」(SDVB 18物質 / WAX 25物質 / 併用29物質、1633は40物質) — https://www.alsglobal.com/en/news-and-publications/2024/09/pfas-sampling-methods-epa-533-vs-537_1-vs-1633
- Fluorocarbons.org「EU Drinking Water Directive 2020/2184」(Sum of PFAS 20物質0.1 µg/L、PFAS Total 0.5 µg/L、2026-01-12期限、加盟国の選択制) — https://www.fluorocarbons.org/regulation/eu-sector-specific-regulation/water/
- LCGC International「Determination of PFAS in Water According to EU 2020/2184 and DIN 38407-42 Using Online SPE–LC–MS/MS」 — https://www.chromatographyonline.com/view/determination-of-pfas-in-water-according-to-eu-2020-2184-and-din-38407-42-using-online-spe-lc-ms-ms
- ACS ES&T Letters「Total Oxidizable Precursor (TOP) Assay ― Best Practices, Capabilities and Limitations for PFAS Site Investigation and Remediation」(プロトコルの多様化と比較困難性) — https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.estlett.3c00061
- Environmental Science & Technology「The Global Threat from the Irreversible Accumulation of Trifluoroacetic Acid (TFA)」(TFAの遍在性・不可逆的蓄積) — https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.est.4c06189
- PMC「Elevated Levels of Ultrashort- and Short-Chain Perfluoroalkyl Acids in US Homes and People」(超短鎖3物質がターゲットPFAS総濃度の98%、AOF/TOPでは捉えられない) — https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC10603771/
- Eurofins「Branched and linear forms of PFAS」(ECF由来PFOSの直鎖約70%・分岐約30%、製法と異性体) — https://cdnmedia.eurofins.com/european-east/media/2184182/branched_pfas_short_facts_1804.pdf
- 島津製作所「LC/MS/MSメソッドパッケージ 飲料水中PFAS」(10物質のワンストップ対応、定量下限は基準値の1/10程度) — https://www.an.shimadzu.co.jp/products/liquid-chromatograph-mass-spectrometry/lc-ms-system/lcmsms-method-package-for-pfas/index.html
- ジーエルサイエンス「Delay column for PFAS」(高純度活性炭充填、システム由来ブランクの遅延) — https://www.gls.co.jp/product/lc_columns/special_column/02667.html
- AGROLAB「AOF/PFAS 製品情報」(AOFはDIN 38409-59で認定分析可能、TOPアッセイの位置づけ) — https://www.agrolab.com/en/service/download/document-search/776-agrolab-group-product-information-aof-pfas/file.html
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2026-09-18 改稿:US EPA Method 1633A(2024 年 12 月版)の本文 PDF を取得し、同位体希釈で定量する 24 物質と代用標識体で定量する 16 物質の内訳(Table 10)、 多機関バリデーションの MDL/LOQ(Table 9)、PTFE 蓋の禁止、分岐異性体の合算報告の条文を原文から引用して、タイトルの芯に据えた。 日本の告示法・検査マニュアルは初出時の URL が 404 になっており再取得できなかったため、初出時の記述を残して「未確認・限界」に明記した。 本文冒頭の h1 を削除した。