標準物質・検量線・トレーサビリティ ― 相関係数 0.999 を満たした検量線の 95 % で、定量下限が ±20 % を外れていた【2026年版】
データ解析

標準物質・検量線・トレーサビリティ ― 相関係数 0.999 を満たした検量線の 95 % で、定量下限が ±20 % を外れていた【2026年版】

「トレーサブルな標準物質を使っています」と言うとき、何がトレーサブルなのか。国際計量計測用語集(VIM)の定義では、 計量トレーサビリティは「測定結果の性質」であって、標準物質でも装置でも研究機関でもない。しかも VIM は続けて 「トレーサビリティは、不確かさが目的に対して十分であることも、間違いが無いことも保証しない」と明記している。 では何が答えを決めるのか ―― 検量線の引き方である。1〜1000 の 10 点を、点はまったく同じまま重み付けだけを 変えて 20000 回引き直したところ、定量下限の相対誤差の標準偏差は 361 % と 2.3 %、ICH M10 の ±20 % を外れる確率は 95.4 % と 0.0 % に分かれた(筆者シミュレーション)。しかも相関係数は 0.999 を超えている。ICH Q2(R2) は 重み付けに一言も触れていないが、同じ文書が「残差プロットの非ランダムなパターンを評価せよ」と書いている。

分析法の資料に、こう書かれていることがある。

濃度は、トレーサブルな標準物質を用いて検量線法により求めた。

この一文は、何を保証しているのだろうか。

国際計量計測用語集(VIM、JCGM 200:2012)は、計量トレーサビリティをこう定義している。

metrological traceability: property of a measurement result whereby the result can be related to a reference through a documented unbroken chain of calibrations, each contributing to the measurement uncertainty (計量トレーサビリティ:測定結果の性質であって、その結果が、文書化された切れ目のない校正の連鎖を通じて、ある参照に関連づけられること。連鎖の各段階が測定不確かさに寄与する)

測定結果の性質である。標準物質の性質でも、装置の性質でも、研究機関の性質でもない。

そして VIM は、定義のすぐ後にこう書いている。

NOTE 5 Metrological traceability of a measurement result does not ensure that the measurement uncertainty is adequate for a given purpose or that there is an absence of mistakes. (測定結果の計量トレーサビリティは、その測定不確かさが所定の目的に対して十分であることも、間違いが無いことも保証しない

トレーサブルであることは、正しいことを意味しない。

では何が答えを決めるのか。本記事の後半で、まったく同じ 10 点の実測値から、重み付けだけを変えて検量線を 20000 回引き直す。定量下限での相対誤差の標準偏差は、361 % と 2.3 % に分かれた(筆者シミュレーション)。しかもどちらも、相関係数は 0.999 を超えている。

この記事の読み方

本記事の読み進め方を示す図。入門者は1〜7節でトレーサビリティ・不確かさ・認証値を、すでに検量線を引いている読者は9〜13節を読む。筆者が計算・シミュレーションした数値にはその旨を明記している
図解:入門者は 1〜7 節。検量線を引いている方は 9〜13 節が中核。
  • 入門者:1〜7節で「トレーサビリティ」「不確かさ」「認証値」という言葉の中身を押さえてほしい。用語は初出時に補足する。
  • すでに検量線を引いている方:9〜13節が本記事の中核。とくに 11 節(相関係数では見えない)と 13 節(規制文書の非対称)。
  • 数値はすべて出典の原典を開いて確認した。筆者が計算・シミュレーションした数値には「筆者計算」「筆者シミュレーション」と明記し、モデルと仮定も書く。

1. 計量トレーサビリティは「連鎖」である

計量トレーサビリティの3要素を示す図。文書化された切れ目のない校正の連鎖、参照に関連づけられること、連鎖の各段階が測定不確かさに寄与すること。中心にあるのは「測定結果の性質」であること
図解:3 要素が重なる中心にあるのは「測定結果の性質」である。

VIM の定義をもう一度分解する。要素は 3 つある。

  1. 文書化された、切れ目のない校正の連鎖(documented unbroken chain of calibrations)
  2. その連鎖が、ある参照(reference)につながっていること
  3. 連鎖の各段階が、測定不確かさに寄与すること

3 番目が実務上いちばん効く。連鎖は不確かさを消さない。段ごとに増やす。国家標準から二次標準、二次標準から社内標準、社内標準から日々の検量線へ、と降りてくるたびに不確かさは積み上がる。

VIM は「参照」が何でありうるかも書いている。

NOTE 1 For this definition, a 'reference' can be a definition of a measurement unit through its practical realization, or a measurement procedure including the measurement unit for a non-ordinal quantity, or a measurement standard.

そして「SI へのトレーサビリティ」という言い回しは、別項で厳密に定義されている。

2.43 metrological traceability to a measurement unit … NOTE The expression "traceability to the SI" means 'metrological traceability to a measurement unit of the International System of Units'.

つまり 「SI トレーサブル」は「SI の単位の定義(の実現)まで連鎖がつながっている」という意味であって、「立派な標準物質を使った」という意味ではない。

💡 入門者向け:たとえば質量なら、国際キログラム原器(現在はプランク定数による定義)→ 国家標準の分銅 → 校正された天びん、という連鎖がある。この連鎖のどこか一段でも記録が切れていれば、その先の測定結果は計量トレーサブルではない。

2. 「装置がトレーサブル」は、VIM では別の概念である

計量トレーサビリティ(測定結果の性質)と、装置のトレーサビリティ(instrument traceability)が別概念であることを示す図。VIM の NOTE 8 は、混同のおそれがあれば「計量トレーサビリティ」とフルで書くことを求めている
図解:VIM は両者を別概念として区別している(NOTE 8)。

現場でよく聞く言い方に、VIM は名指しで注意している。

NOTE 8 The abbreviated term "traceability" is sometimes used to mean 'metrological traceability' as well as other concepts, such as 'sample traceability' or 'document traceability' or 'instrument traceability' or 'material traceability', where the history ("trace") of an item is meant. Therefore, the full term of "metrological traceability" is preferred if there is any risk of confusion.

「装置のトレーサビリティ」「試料のトレーサビリティ」「文書のトレーサビリティ」は、いずれも「ものの来歴をたどれる」という別の概念であり、計量トレーサビリティとは違う、と VIM は言っている。混同のおそれがあるなら「計量トレーサビリティ」とフルで書け、とまで書いてある。

「この装置はトレーサブルです」という文は、校正証明書があるという意味ではありうるが、その装置で得た測定結果が計量トレーサブルであることを意味しない。結果がトレーサブルかどうかは、その日の校正・標準物質・手順・不確かさまで含めて決まる。

なお、何をもって計量トレーサビリティが確認されたとするかについて、VIM は ILAC の見解を引いている。

NOTE 7 The ILAC considers the elements for confirming metrological traceability to be an unbroken metrological traceability chain to an international or a national measurement standard, a documented measurement uncertainty, a documented measurement procedure, accredited technical competence, metrological traceability to the SI, and calibration intervals.

6 要素である。標準物質を買うだけでは、このうち 1 つを満たすにすぎない。

3. VIM 自身が書いている限界

VIM の NOTE 5「トレーサビリティは、不確かさが目的に対して十分であることも、間違いが無いことも保証しない」と、ILAC が挙げる確認要素6つ(切れ目のない連鎖、文書化された不確かさ、文書化された測定手順、認定された技術能力、SIへのトレーサビリティ、校正間隔)
図解:確認要素は 6 つ。標準物質の購入はそのうち 1 つにすぎない。

冒頭に引いた NOTE 5 を、もう一度置く。

Metrological traceability of a measurement result does not ensure that the measurement uncertainty is adequate for a given purpose or that there is an absence of mistakes.

この一文は、二つのことを言っている。

  • 不確かさが目的に対して十分である保証はない。 トレーサブルでも、不確かさが大きすぎて判定に使えないことはある。
  • 間違いが無い保証はない。 連鎖が正しくても、希釈を間違えれば結果は間違う。

トレーサビリティは「正しさ」ではなく「たどれること」である。この区別が、本記事の後半すべての前提になる。

4. 認証書の数値は、全部が同じ重みではない

NIST が区別する4種の値を示す表。Certified Value は不確かさが付き、Non-Certified Value は推定値が付くことがあり、Reference Value の不確かさは不完全なことがあり、Information Value には不確かさが付かない
図解:情報値には、不確かさが付いていない。

標準物質の証明書には、いくつも数値が並んでいる。それらは同格ではない。NIST は自らの標準物質(SRM)について、次のように区別している。

種別 定義(NIST) 不確かさ
Certified Value(認証値) "A value reported on an SRM certificate or certificate of analysis for which NIST has the highest confidence in its accuracy" 付いている
Non-Certified Value(非認証値) "A best estimate of the true value based on currently available information; however, they do not meet NIST's criteria for certification" 推定値が付くことがある
Reference Value(参考値) "potentially incomplete uncertainty estimate"
Information Value(情報値) "without any associated uncertainty"

情報値には、不確かさが付いていない。証明書に印刷されているからといって、そのまま検量線の値付けに使ってよいわけではない。

⚠️ 実務上の注意:証明書から数値を転記するときは、その数値が認証値か参考値か情報値かを必ず確認する。認証値以外を使うなら、なぜ使うのかと、不確かさをどう扱ったのかを記録に残す必要がある。

5. k = 2 とは何か ― GUM が「常に記載せよ」と書いていること

包含係数 k を示す図。k = 2 で約 95 %、k = 3 で約 99 %。GUM の逐語「The coverage factor k is always to be stated」。k が無い値は下流の不確かさ計算に使えない
図解:k は常に記載する。k が無い値は、その先の計算に使えない。

認証値には「± いくつ(k = 2)」という形で不確かさが付く。この k は包含係数(coverage factor)で、測定における不確かさの表現のガイド(GUM、JCGM 100:2008)が定義している。

The expanded uncertainty U is obtained by multiplying the combined standard uncertainty uc by a coverage factor k. … The choice of the factor k, which is usually in the range 2 to 3, is based on the coverage probability or level of confidence required of the interval.

そして具体的な対応が書かれている。

one can assume that taking k = 2 produces an interval having a level of confidence of approximately 95 percent, and that taking k = 3 produces an interval having a level of confidence of approximately 99 percent.

ただしこれは無条件ではない。GUM は「分布が近似的に正規で、有効自由度が十分大きいとき」という前提を明示している。

そして、実務でいちばん見落とされるのがこの注記である。

NOTE The coverage factor k is always to be stated, so that the standard uncertainty of the measured quantity can be recovered for use in calculating the combined standard uncertainty of other measurement results that may depend on that quantity.

k は常に記載しなければならない。理由も書いてある ―― k がわからないと、その値を使う下流の計算で、標準不確かさに戻せないからだ。「± 0.5」とだけ書かれた数値は、その先の不確かさ計算に使えない。

6. 日本薬局方は「不確かさ」を、473 ページ中 1 ページでしか使っていない

JP19 一般試験法 473 ページの全文検索結果を示す横棒グラフ。標準品 248、標準物質 39、検量線 20、トレーサ 11、最小二乗 2、不確かさ 1。唯一の「不確かさ」は注射剤の不溶性微粒子試験の校正用粒子
図解:「不確かさ」は 473 ページ中 1 ページのみ(筆者確認)。

ここで日本薬局方(JP19)を見ておく。一般試験法の PDF 473 ページを全文検索した結果である(筆者確認)。

検索語 出現ページ数
標準品 248
標準物質 39
検量線 20
トレーサ(ビリティ/ブル) 11
最小二乗 2
不確かさ 1

「不確かさ」が出てくるのは、473 ページ中たった 1 ページである。しかもその 1 か所は、注射剤の不溶性微粒子試験〈6.07〉の校正用粒子についてだった。

校正用粒子は,少なくとも粒径が5 μm,10 μm及び25 μmの真球状のポリスチレン系の単分散粒子(PSL粒子)を用いて粒径感度測定を行う.PSL粒子は,国内又は国際的な長さのトレーサビリティを持ち,不確かさが3%以内とする.

日局で「トレーサビリティ」と「不確かさ」が数値とともに要求されているのは、実質ここだけだ。

これは局方の欠陥という話ではない。局方は「標準品」を配布し、各条で判定値を与えることで品質を担保する体系であって、各試験室に不確かさの推定を求める体系ではない。ただし裏を返せば、不確かさやトレーサビリティの管理は、局方に従っているだけでは自動的には満たされないということでもある。

なお、日局が計量トレーサビリティを正面から扱っている数少ない場所は、定量 NMR の記述である。

国際単位系(SI)へのトレーサビリティが確保された内標準物質を用いて,純度や含量は物質量(mol)に基づいた信頼性の高い値を求めることができ,このような測定法は定量1H NMRと呼ばれている.

詳しくは定量NMR(qNMR)の記事を参照してほしい。

7. ここから後半 ― 標準物質が正しくても、答えは検量線が決める

国家標準から標準物質、検量線、定量値へと降りていく連鎖を示す図。最後の一段が日々の回帰であり、上流が正しくてもこの一段で結果は変わる
図解:連鎖の最後の一段が、日々の回帰である。

ここまでは「上流」の話だった。国家標準から標準物質までの連鎖である。

だが実際の定量値は、その標準物質を使って引いた検量線から出てくる。連鎖の最後の一段が、日々の回帰である。

そして VIM の NOTE 5 が言うとおり、上流がどれだけ正しくても、この一段で結果は変わる。どれだけ変わるのか。数字で見る。

8. 筆者シミュレーション ― 同じ 10 点を、重み付けだけ変えて引き直す

定量下限における相対誤差の表。重み付けなしは平均 −16.45 %・標準偏差 361.14 %、w=1/x は −0.16 %・11.16 %、w=1/x² は +0.01 %・2.27 %。ICH M10 の ±20 % を外れる確率は 95.38 % と 0.00 %
図解:同じ 10 点でも、定量下限の SD は 361.14 % と 2.27 % に分かれる(筆者シミュレーション)。

モデルと仮定(先に明示する)

  • 真の応答は y = a + b·x(ここでは a = 0、b = 1 とする。相対誤差だけを見るので絶対値は任意)
  • 測定誤差は 一定の相対標準偏差:SD(y) = 5 % × y。低濃度でも高濃度でも「%で見たばらつきが同じ」という構造で、クロマトグラフィーや LC-MS で濃度域が数桁にわたるときに一般に観測される
  • 検量線用標準試料は 1 〜 1000 の 3 桁に 10 点:1, 2, 5, 10, 25, 50, 100, 250, 500, 1000(ICH M10 の「6 濃度以上」を満たす)
  • 点はまったく同じものを使い、回帰の重み w だけを変える
  • Monte Carlo 20000 回、乱数は固定シード(再現可能)

比べるのは 3 通り:重み付けなし(w = 1)w = 1/xw = 1/x²

結果1:定量下限での相対誤差

各標準試料の応答から濃度を逆算し、真値に対する相対誤差を求めた。

濃度 重み付けなし w = 1/x w = 1/x²
1(定量下限) 平均 −16.45 % / SD 361.14 % −0.16 % / 11.16 % +0.01 % / 2.27 %
2 −8.14 % / 178.85 % −0.02 % / 5.71 % −0.04 % / 4.44 %
5 −3.05 % / 69.52 % +0.04 % / 4.75 % +0.02 % / 4.78 %
10 −1.50 % / 33.33 % +0.02 % / 5.19 % +0.07 % / 4.74 %
100 +0.10 % / 5.10 % +0.10 % / 5.54 % 0.00 % / 4.69 %
1000 −0.05 % / 1.42 % −0.01 % / 2.81 % +0.05 % / 4.64 %

定量下限での標準偏差は、361 % と 2.27 %。約 160 倍ちがう。同じ点から、同じ最小二乗法で引いているのに。

高濃度側を見ると、重み付けなしのほうが SD が小さい(1000 で 1.42 % 対 4.64 %)。重み付けなしの回帰は、高濃度をよく合わせ、低濃度を犠牲にしているのである。

結果2:ICH M10 の判定に照らすと

ICH M10 は、検量線用標準試料の真度を 定量下限で ±20 %、それ以外で ±15 % とし、さらに 75 % 以上が基準を満たすことを求めている。この基準で判定した。

重み付け 定量下限が ±20 % を外れる確率 「75 % ルール」を満たさない確率
重み付けなし 95.38 % 83.10 %
w = 1/x 7.25 % 0.18 %
w = 1/x² 0.00 % 0.00 %

同じ実測点なのに、重み付けを変えるだけで、定量下限が ICH M10 の判定を外れる確率が 95.4 % から 0.0 % になる。

9. なぜそうなるのか ― 最高濃度の 1 点が、傾きの 68.5 % を決めている

各点の傾きへの寄与率を示す表。重み付けなしでは x=1 が 3.9 %、x=500 が 9.9 %、x=1000 が 68.5 %。w=1/x² では 2.7 %、13.6 %、13.7 % とほぼ均等になる
図解:重み付けなしでは、最高濃度の 1 点が傾きの 68.5 % を決めている(筆者計算)。

理由は、重み付き最小二乗の構造から直接出る。

回帰の傾きに対する各点の寄与は、w_i ×(x_i − 重み付き平均)² に比例する。この寄与率を計算した(筆者計算)。

重み付け x=1 x=2 x=5 x=10 x=25 x=50 x=100 x=250 x=500 x=1000
重み付けなし 3.9 % 3.9 % 3.8 % 3.6 % 3.0 % 2.2 % 0.9 % 0.3 % 9.9 % 68.5 %
w = 1/x 1.0 % 0.3 % 0.0 % 0.1 % 0.8 % 2.1 % 4.7 % 12.7 % 25.9 % 52.4 %
w = 1/x² 2.7 % 1.1 % 6.9 % 10.0 % 12.2 % 12.9 % 13.3 % 13.6 % 13.6 % 13.7 %

重み付けなしでは、最高濃度の 1 点が傾きの 68.5 % を決めている。上位 2 点(500 と 1000)で 78.4 % である。残る 8 点を全部合わせても 21.6 % にしかならない。

これは直感に反するかもしれないが、当然の帰結だ。重み付けなしの最小二乗は「残差の二乗和」を最小にする。残差は応答の絶対値で測られるから、応答が 1000 倍大きい点の残差も 1000 倍大きくなり、その点を合わせることが最優先になる。低濃度側の点は、絶対値で見ればほとんど誤差ゼロの点として扱われ、実質的に無視される。

w = 1/x² を掛けると、各点の寄与がほぼ均等(2.7 〜 13.7 %)になる。相対誤差が一定という仮定のもとでは、これが最尤推定になっているからだ。

10. 相関係数では、この問題は見えない

重み付けなしで引いた検量線の相関係数を示す表。相関係数 r は中央値 0.999618・最小 0.988599、決定係数 r² は中央値 0.999236・最小 0.977327。r ≧ 0.999 を満たした検量線の 94.89 % で定量下限が ±20 % を外れていた
図解:r ≧ 0.999 を満たした検量線の 94.89 % で、定量下限が ±20 % を外れていた。

ここが本記事でいちばん実務に効く点である。

重み付けなしで引いた 20000 本の検量線について、相関係数 r を計算した(筆者シミュレーション)。

指標 中央値 最小
相関係数 r 0.999618 0.988599
決定係数 r² 0.999236 0.977327

そして、

  • r ≧ 0.999 を満たした割合:79.87 %
  • そのうち、定量下限の誤差が ±20 % を超えていた割合:94.89 %

相関係数が 0.999 以上あっても、定量下限は 95 % の確率で ±20 % を外れている。

理由は明快で、相関係数も高濃度側に支配されるからである。r は全点の分散を使って計算されるが、その分散はほぼ最高濃度の点が作っている。低濃度側で何が起きていても、r はほとんど動かない。

「r² = 0.999 だから直線性は良好」という一文は、低濃度側の正確さについて何も言っていない。

11. 残差プロットには見えている

残差プロットの漏斗型を示す図。濃度 1 での残差の標準偏差は 0.05、濃度 1000 では 50.00 で、最低濃度と最高濃度で残差の広がりは 1000 倍ちがう
図解:残差の広がりは 1000 倍ちがう。ICH Q2(R2) はこれを見よと書いている。

では、何を見れば見えるのか。残差プロットである。

相対誤差が一定という仮定のもとでは、残差の標準偏差は応答に比例する。本記事の条件で計算すると(筆者計算)、

濃度 残差の標準偏差(応答の単位)
1 0.05
1000 50.00

最低濃度と最高濃度で、残差の広がりは 1000 倍ちがう。プロットすれば、左端が細く右へ向かって開く、はっきりした漏斗の形になる。

そして ICH Q2(R2) は、まさにこれを見ろと書いている。

An analysis of the deviation of the actual data points from the regression line is helpful for evaluating linearity (e.g., for a linear response, the impact of any non-random pattern in the residuals plot from the regression analysis should be assessed).

漏斗型は、非ランダムなパターンそのものである。Q2(R2) 自身の要求に素直に従えば、重み付けの必要性にたどり着く。

12. ICH M10 は書いている、ICH Q2(R2) は書いていない

ICH M10 と ICH Q2(R2) の比較表。M10 は重み付けへの言及があり求める指標は逆算濃度の真度 ±15 %/±20 %。Q2(R2) は重み付けへの言及が無く、求める指標は相関係数・決定係数、切片、傾き、残差プロット
図解:同じ回帰の問題なのに、書かれている世界と書かれていない世界がある。

ところが、規制文書の書きぶりには大きな非対称がある。原文を検索した結果である(筆者確認)。

ICH M10(バイオアナリシス、2022年)は明記している。

A simple regression model that adequately describes the concentration-response relationship should be used. The selection of the regression model should be directed by written procedures. The regression model, weighting scheme and transformation should be determined during the method validation.

さらに報告書の記載要件にも「calibration curve, regression, weighting function, analyte and IS response…」と、重み付け関数を報告せよと書かれている。

一方、ICH Q2(R2)(分析法バリデーション、2023年)に、回帰の重み付けへの言及は無い。本文中の「weight」は 2 回だけで、いずれも "weight/weight"(重量比)の意味である。「least squares」も 2 回で、一つは PLS(部分最小二乗)、もう一つがこれである。

Test results should be evaluated by an appropriate statistical method (e.g., by calculation of a regression line by the method of least squares).

「最小二乗法で回帰線を計算する」としか書かれていない。そして提出を求められるのは、

A plot of the data, the correlation coefficient or coefficient of determination, y-intercept and slope of the regression line should be provided.

―― 相関係数である。10 節で見たとおり、それでは見えない指標だ。

重み付けへの言及 求める指標
ICH M10(バイオアナリシス) あり(バリデーションで決定、報告書に記載) 各標準試料の逆算濃度の真度(±15 % / ±20 %)
ICH Q2(R2)(一般) なし 相関係数・決定係数、切片、傾き、残差プロット

同じ回帰の問題なのに、書かれている世界と書かれていない世界がある。バイオアナリシスでは低濃度の正確さが直接の関心事なので明文化されたが、一般の分析法バリデーションでは残差プロットの一文に含意されるにとどまっている。

13. では、どう決めるのか

重み付けの決め方を示す図。重み付けは誤差構造を実測してから決め、根拠を記録に残す。分析のたびに変えない
図解:誤差構造を実測してから決め、根拠を残す。分析のたびに変えない。

重み付けは「とりあえず 1/x²」で済ませるものではない。誤差の構造を見て決めるのが筋である。

  1. まず誤差構造を実測する。 各濃度で繰り返し測定し、標準偏差が濃度によらず一定(等分散)か、濃度に比例(一定相対誤差)か、その中間かを見る。この一手間なしに重みは選べない。
  2. 等分散なら重み付けは不要。 狭い濃度範囲(1 桁以内)なら、重み付けなしで問題にならないことも多い。本記事の結果は 3 桁にわたる範囲の話である。
  3. 一定相対誤差なら w = 1/x²。 本記事のシミュレーションでは、これが各点の寄与をほぼ均等にし、逆算濃度のバイアスをほぼゼロにした。
  4. 中間なら w = 1/x。 実データでは 1/x が最適になることも多い。
  5. 選んだ根拠を残す。 ICH M10 が「written procedures に従って選べ」「バリデーション時に決めよ」と書いているのは、分析のたびに重みを変えて都合のよい結果を選ぶことを防ぐためでもある。
  6. 判定は逆算濃度で行う。 相関係数ではなく、各標準試料を逆算したときの相対誤差を見る。これは M10 の考え方だが、一般の定量にもそのまま使える。

⚠️ 本記事の限界:上のシミュレーションは「一定の相対標準偏差」という単一の誤差構造を仮定した理想化である。実データはこれほどきれいではなく、低濃度側ではベースラインノイズ由来の等分散成分が乗るため、真の構造は両者の混合になることが多い。それでも、重み付けを変えれば低濃度の答えが変わるという結論の向きは変わらない。

分析者の視点

分析者が守るべき8つの原則を示す図。保証・装置・証明書・不確かさ・直線性・プロット・判定・根拠の観点で整理している
図解:8 つの原則 ― 相関係数で判定せず、残差プロットを必ず描く。
  1. 「トレーサブルな標準物質を使いました」だけでは、何も保証していない。 計量トレーサビリティは測定結果の性質であり、VIM 自身が「不確かさが十分であることも、間違いが無いことも保証しない」と書いている(1〜3節)。
  2. 「装置がトレーサブル」と書かない。 VIM はそれを別概念(instrument traceability)として区別し、混同のおそれがあれば「計量トレーサビリティ」とフルで書けと求めている(2節)。
  3. 証明書の数値が認証値か、参考値か、情報値かを確認する。 情報値には不確かさが付いていない(4節)。
  4. 不確かさを引用するときは k を必ず併記する。 GUM は「k は常に記載すること」と明記している。k が無い値は、下流の不確かさ計算に使えない(5節)。
  5. 相関係数で直線性を判定しない。 r ≧ 0.999 を満たした検量線の 94.89 % で、定量下限が ±20 % を外れていた(10節)。
  6. 残差プロットを必ず描く。 漏斗型が出たら、それは重み付けが要るというサインである。ICH Q2(R2) も「残差プロットの非ランダムなパターンを評価せよ」と書いている(11節)。
  7. 判定は逆算濃度の相対誤差で行う。 各標準試料を検量線から逆算し、真値からのずれを見る。低濃度側だけを見ればよい(8節)。
  8. 重み付けは誤差構造を実測してから決め、根拠を記録に残す。 分析のたびに変えない(13節)。

まとめ

本記事の要点をまとめた図。VIM は計量トレーサビリティを測定結果の性質と定義し、NIST の情報値には不確かさが付かず、GUM は k を常に記載せよと書き、JP19 の不確かさへの言及は 473 ページ中 1 ページのみ。筆者シミュレーションでは定量下限の相対誤差 SD が 361.14 % と 2.27 %、最高濃度の 1 点が傾きの 68.5 % を決め、r ≧ 0.999 の 94.89 % で ±20 % を外れていた
図解:上流の連鎖と、最後の一段(回帰)の両方が効いている。
  • VIM の定義では、計量トレーサビリティは「測定結果の性質」であって、標準物質・装置・研究機関の性質ではない。要素は「文書化された切れ目のない校正の連鎖」「参照」「各段が不確かさに寄与する」の 3 つ。
  • VIM NOTE 5:「トレーサビリティは、不確かさが目的に十分であることも、間違いが無いことも保証しない」。
  • VIM NOTE 8:「装置のトレーサビリティ」は別概念。混同のおそれがあれば「計量トレーサビリティ」とフルで書く。
  • ILAC が挙げる確認要素は 6 つ(切れ目のない連鎖/文書化された不確かさ/文書化された測定手順/認定された技術能力/SI へのトレーサビリティ/校正間隔)。標準物質の購入はそのうち 1 つにすぎない。
  • NIST の証明書の数値は 4 段階(認証値・非認証値・参考値・情報値)。情報値には不確かさが付かない。
  • GUM:k は通常 2 〜 3、k = 2 で約 95 %。そして「k は常に記載すること」。
  • JP19 一般試験法 473 ページで「不確かさ」が出てくるのは 1 ページのみ(不溶性微粒子試験の校正用 PSL 粒子、「不確かさが 3 % 以内」)。局方に従うだけでは不確かさ管理は満たされない。
  • 筆者シミュレーション(1〜1000 の 10 点、相対 SD 5 %、20000 回):定量下限の相対誤差の標準偏差は、重み付けなしで 361.14 %、w=1/x² で 2.27 %。
  • ICH M10 の判定では、定量下限が ±20 % を外れる確率が 95.38 %(重み付けなし)と 0.00 %(w=1/x²)。同じ点から引いているのに。
  • 筆者計算:重み付けなしでは、最高濃度の 1 点が傾きの 68.5 % を決めている。残る 8 点を合わせても 21.6 %。
  • 相関係数では見えない。 r ≧ 0.999 を満たした検量線の 94.89 % で、定量下限が ±20 % を外れていた。
  • 残差プロットには見えている。最低濃度と最高濃度で残差の広がりは 1000 倍。ICH Q2(R2) は「残差プロットの非ランダムなパターンを評価せよ」と書いている。
  • ICH M10 は重み付けを明記し報告も求めるが、ICH Q2(R2) には言及が無い(本文の "weight" 2 回はいずれも重量比の意味)。

用語集

  • 計量トレーサビリティ:測定結果が、文書化された切れ目のない校正の連鎖を通じて参照に関連づけられる性質(VIM 2.41)。結果の性質であって、ものの性質ではない。
  • VIM(JCGM 200:2012):国際計量計測用語集。計量に関する用語の国際的な定義集で、BIPM から無償で公開されている。
  • GUM(JCGM 100:2008):測定における不確かさの表現のガイド。不確かさの評価と表記の国際的な基準。同じく無償公開。
  • 標準不確かさ / 合成標準不確かさ / 拡張不確かさ:それぞれ、個々の要因の不確かさ、それらを合成したもの、合成標準不確かさに包含係数 k を掛けたもの。
  • 包含係数 k:拡張不確かさを作るための係数。通常 2 〜 3。k = 2 で約 95 %、k = 3 で約 99 %(正規近似と十分な自由度が前提)。
  • 認証標準物質(CRM):認証値と不確かさ、および計量トレーサビリティが文書で与えられた標準物質。
  • 認証値 / 参考値 / 情報値:NIST の区別。認証値は最も信頼度が高く不確かさが付く。参考値の不確かさは不完全なことがあり、情報値には不確かさが付かない。
  • 重み付き最小二乗(WLS):各点に重み w を与えて残差二乗和を最小化する回帰。誤差の分散が点ごとに違うときに使う。w は分散の逆数に比例させるのが原則。
  • 不均一分散(heteroscedasticity):測定のばらつきが濃度によって変わること。濃度域が数桁にわたる定量では通常こうなる。
  • 逆算濃度(back-calculated concentration):検量線に標準試料の応答を代入して求めた濃度。真値とのずれが、その検量線の実用上の正確さを表す。
  • 定量下限(LLOQ):定量が成立する最も低い濃度。ICH M10 では真度 ±20 %、精度 20 % 以下。

出典

  1. JCGM 200:2012, International vocabulary of metrology — Basic and general concepts and associated terms (VIM), 3rd edition(BIPM、無償公開)― 2.41 metrological traceability の定義と NOTE 1〜8(NOTE 5「does not ensure…absence of mistakes」、NOTE 7 の ILAC 6 要素、NOTE 8 の instrument traceability との区別)、2.42 traceability chain、2.43 traceability to the SI。 https://www.bipm.org/documents/20126/2071204/JCGM_200_2012.pdf
  2. JCGM 100:2008, Evaluation of measurement data — Guide to the expression of uncertainty in measurement (GUM)(BIPM、無償公開)― 拡張不確かさ U = k·uc、k は通常 2〜3、k = 2 で約 95 %・k = 3 で約 99 %(正規近似と十分な有効自由度が前提)、「The coverage factor k is always to be stated」。 https://www.bipm.org/documents/20126/2071204/JCGM_100_2008_E.pdf
  3. ICH Q2(R2): Validation of Analytical Procedures(Step 4、2023年11月)― 直線性の評価は「by calculation of a regression line by the method of least squares」、提出物は「the correlation coefficient or coefficient of determination, y-intercept and slope」、「the impact of any non-random pattern in the residuals plot… should be assessed」。回帰の重み付けへの言及は無い(筆者が全文検索して確認)。 https://database.ich.org/sites/default/files/ICH_Q2%28R2%29_Guideline_2023_1130.pdf
  4. ICH M10: Bioanalytical Method Validation and Study Sample Analysis(Step 4、2022年5月)― 「A simple regression model that adequately describes the concentration-response relationship should be used… The regression model, weighting scheme and transformation should be determined during the method validation.」、報告要件の「calibration curve, regression, weighting function」、検量線は 6 濃度以上、真度 ±15 %(定量下限 ±20 %)、75 % ルール。 https://database.ich.org/sites/default/files/M10_Guideline_Step4_2022_0524.pdf
  5. NIST: SRM Definitions(米国国立標準技術研究所)― Certified Value「a value…for which NIST has the highest confidence in its accuracy」、Non-Certified Value「do not meet NIST's criteria for certification」、Reference Value は「potentially incomplete uncertainty estimate」、Information Value は「without any associated uncertainty」。 https://www.nist.gov/srm/srm-definitions
  6. 第十九改正日本薬局方 一般試験法(厚生労働省、2026年4月10日告示・同日適用)― 全 473 ページの全文検索による語の出現ページ数(標準品 248/標準物質 39/検量線 20/トレーサ 11/最小二乗 2/不確かさ 1)。唯一の「不確かさ」は〈6.07〉注射剤の不溶性微粒子試験の校正用 PSL 粒子(「国内又は国際的な長さのトレーサビリティを持ち,不確かさが3%以内とする」)。および核磁気共鳴スペクトル測定法における qNMR の記述(SI へのトレーサビリティ)。 https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/001689414.pdf

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本記事と関連する記事を示す図。クロマトグラムの積分とピーク処理、ICH M10バイオアナリシス実務、分析法バリデーションが30年ぶりに変わった、定量NMR(qNMR)入門、分光装置の適格性評価と波長校正、XRDと結晶多形、抗体医薬のLC-MSキャラクタリゼーション
図解:同じ「生データから答えを作る」問題を扱う 7 本。

未確認・限界

本記事の限界を示す図。ISO 17034 / ISO Guide 35 の原文未参照、JCSS / NMIJ CRM の制度的詳細未確認、シミュレーションは一定の相対標準偏差 5 % の仮定による理想化、切片0・傾き1で内標準法を用いていない、相関係数 0.999 は例示であり ICH Q2(R2) が定めた値ではない
図解:シミュレーションは理想化である。数値をそのまま自分のデータの予測値にしない。
  1. ISO 17034(標準物質生産者の一般要求事項)と ISO Guide 35(標準物質の認証)の原文は参照していない。 いずれも有償規格で、本記事の執筆時点で原文を入手できなかったため。標準物質の階層についての記述は、VIM の定義と NIST の公開ページに基づく範囲に限っている。
  2. JCSS(計量法トレーサビリティ制度)と NMIJ CRM の制度的な詳細には踏み込んでいない。 日本国内のトレーサビリティ体系は本記事の主題(検量線の引き方)から外れるため、qNMR 記事へのリンクにとどめた。
  3. 8〜11 節のシミュレーションは、単一の誤差構造(一定の相対標準偏差 5 %)を仮定した理想化である。 実データでは低濃度側にベースラインノイズ由来の等分散成分が重なるため、真の誤差構造は等分散と一定相対誤差の混合になることが多い。その場合、最適な重みは 1/x² より穏やかになる。結論の向き(重み付けを変えれば低濃度の答えが変わる)は変わらないが、本記事の数値そのものを自分のデータの予測値として使ってはいけない。
  4. シミュレーションでは切片を 0、傾きを 1 とし、内標準法を用いていない。 実務の多くは内標準比で回帰するため、誤差構造はさらに変わる。
  5. 検量線から検出限界・定量限界を導く方法(残差標準偏差と傾きから求める式など)は扱っていない。 本記事は「引いた検量線がどれだけ正確か」に主題を絞った。
  6. 標準添加法とマトリックスマッチ検量線には踏み込んでいない。 マトリックス効果への対処はマトリックス効果とイオン化抑制の記事の主題である。
  7. 相関係数の閾値(0.999 など)は、本記事が置いた例示であって、ICH Q2(R2) が定めた値ではない。 Q2(R2) は相関係数の提出を求めているが、合格基準としての具体的な数値は与えていない。

制作メモ:ディープリサーチで論点を洗い出したうえで、BIPM が無償公開している VIM(JCGM 200:2012)と GUM(JCGM 100:2008)の原文 PDF、ICH Q2(R2) および ICH M10 の原文 PDF、日本薬局方一般試験法 PDF の全文検索、NIST の公開ページにより、編集側ですべての逐語と数値を原典で検証して執筆した。8〜11 節のシミュレーションは筆者が固定シードで実行したもので、モデルと仮定を本文に明記している。