定量NMR(qNMR)入門 ― 1つの標準物質で純度を測る「絶対定量」【2026年版】
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定量NMR(qNMR)入門 ― 1つの標準物質で純度を測る「絶対定量」【2026年版】

定量NMR(qNMR)は、NMRシグナルの面積が「核の数(モル)」に比例する原理を使い、 測定対象と同じ標準物質をそろえなくても純度・含量を絶対定量できる手法。緩和遅延や ¹³Cサテライトなど精確測定の勘所、内標準法とPULCON/ERETIC2(外標準法)の違い、 NMIJの認証標準物質によるSIトレーサビリティ、そして日本薬局方〈2.21〉やISO 24583など 公定化・標準化の最新状況までを、入門者と分析現場の両方に向けて整理する。

物質の純度や含量を測るのは、品質管理でも研究開発でも欠かせない基本動作です。 その主役は長らくHPLC(高速液体クロマトグラフィー)でしたが、HPLCは原則として 測定対象とまったく同じ「対照標準品」を用意して比べる相対定量です。新しい化合物や、 入手困難な天然物では、その対照標準品自体が手に入らない――ここが大きな壁でした。

この壁を越える手段として広がっているのが定量NMR(qNMR)です。qNMRは 「構造が違う1つの標準物質さえあれば、別の化合物の量を直接測れる」という、いわば 絶対定量の性質を持ちます。本記事では、その原理から精確に測るための勘所、 標準物質と国際的な信頼性(トレーサビリティ)、そして薬局方・ISOでの公定化までを、 2026年時点の状況として整理します。

この記事の読み方:前半の「なぜ1つの標準物質で測れるのか」は入門者向けに原理をかみ砕きます。 後半の「精確に測る5つの勘所」「内標準法 vs 外標準法」「公定化の現状」は、現場の分析者・ 研究者向けに踏み込みます。専門用語には初出時に短い補足を付けています。

なぜ1つの標準物質で測れるのか:qNMRの原理

図解:qNMRの原理。NMRシグナルの面積が核の数(モル)に比例し、構造が違っても1つの基準物質で絶対定量できる
図解:原理 ― シグナル面積は核の数(モル)に比例。構造が違う物質でも1つの基準物質で絶対定量できる。

NMR(核磁気共鳴)が他の多くの分析法と決定的に違うのは、信号の大きさが 「核の数」そのものを映している点です。NMRスペクトルの各ピークの面積(積分値)は、 そのピークを生んでいる核(主に水素 ¹H)の物質量(モル数)に比例します。しかも、この比例関係は 化合物の構造や官能基による感度差をほとんど受けません。

ここがポイントです。たとえば紫外可視(UV)検出では、化合物ごとに「光の吸いやすさ(モル吸光係数)」が 違うため、対象と同じ標準品がないと量を換算できません。一方qNMRでは、¹Hが1個あれば、どんな分子の ¹Hでもほぼ同じ大きさの信号を返します。だから、純度が分かっている別の物質を「ものさし」に置けば、 そのピーク面積との比から、目的物質の絶対量(=純度・含量)が計算できるのです。

補足:「相対定量」は同じ物差し(同一標準品)で背比べする方式、「絶対定量」は普遍的な物差し (核の数)に換算する方式、とイメージすると違いが掴みやすいです。条件を整えれば、qNMRは サブパーセント(1%を切る精度)での定量が可能です。

精確に測る5つの勘所

図解:精確に測る5つの条件。緩和遅延D1(T1の5〜7倍)・90度パルス校正・13Cサテライト約1.1%・デジタル分解能(ゼロフィリング)・位相/ベースライン
図解:精確さの5条件 ― 緩和遅延(D₁)/90°パルス校正/¹³Cサテライト(約1.1%)/デジタル分解能/位相・ベースライン。

qNMRは原理こそシンプルですが、「面積を正しく測る」ための条件管理がすべてです。 代表的な勘所は次の5つです。

1. 緩和遅延(D₁)を十分にとる

励起された核が元の熱平衡に戻るには時間(縦緩和時間 T₁)がかかります。回復が不十分なまま 次のパルスを当てると、T₁の長い核ほど信号が小さく出て誤差になります。定量的な回復(99%超)を 担保するため、対象核の中で最も長いT₁の5〜7倍以上を待ち時間(緩和遅延 D₁)に設定するのが定石です。

2. 90°パルスを校正する

信号強度を正しく出すには、励起パルスの角度(90°パルス幅)を試料ごとに正確に校正します。 この校正値は、後述する外標準法で「標準と試料の橋渡し」をする要にもなります。

3. ¹³Cサテライトを忘れない

¹H測定では、天然に約1.1%存在する ¹³C と結合した ¹H が、主ピークの両脇に小さな 「サテライト」ピークとして現れます。これを積分から外すと、約1.1%の系統誤差が即座に乗ります。 サテライトを積分範囲に含める、デカップリングする、あるいは理論値で補正する、といった対処が必要です。

4. デジタル分解能を確保する

ピーク(ローレンツ型)の形を忠実に再現するには、十分なデータ点数が要ります。取り込み点数を確保し、 処理でゼロフィリング(データ末尾にゼロを足して見かけの分解能を上げる処理)を併用すると、 積分誤差を抑えられます。

5. 位相とベースラインを整える

積分値はベースラインの平坦さに直結します。自動補正に頼り切らず、位相を合わせ、ベースラインを 水平・ゼロに手動で微調整することが、最終的な精度を左右します。

内標準法 vs 外標準法(PULCON / ERETIC2)

図解:内標準法と外標準法。内標準法は試料と標準を同一チューブで混ぜ最高精度、外標準法(PULCON/ERETIC2)は相反定理で混合不要
図解:内標準法(同一環境で最高精度)と外標準法(PULCON/ERETIC2・混合不要、相反定理に基づく)。

「ものさし」をどう置くかで、qNMRはいくつかの方式に分かれます。

内標準法:もっとも確実な基本形

試料と標準物質を同じ溶媒に一緒に溶かして測る方式です。両者がまったく同じ測定環境 (温度・パルス・プローブのQ値)を共有するため、不確かさが最も小さいのが強みです。 一方で、標準物質と試料が反応しないこと、両方が同一溶媒に十分溶けることが前提になります。

外標準法:試料に混ぜずに測る

標準物質を試料に混ぜたくない(貴重・反応性がある・回収したい)場合に使うのが外標準法です。 代表的に2つの考え方があります。

  • PULCON(Pulse Length-based CONcentration determination):別々に測った2つのスペクトルの 絶対強度を、相反定理(送受信の対称性)に基づき、パルス幅・温度・受信ゲインの差を補正して 結びつける方法です。標準と試料を混ぜる必要がなく、特別な装置も要らず、98%超の正確さが 報告されています。秤量に伴う誤差(水分・塩・対イオンの混入など)を避けられるのも利点です。
  • ERETIC2:Brukerが実装する外標準定量機能で、現行版は上記PULCONの考え方に基づいています。 かつての初代ERETIC(別コイルから疑似信号を電子的に注入する方式)から進化し、今は物理標準を 基準にしたPULCON的な濃度決定が主流です。

補足:PULCONは「天秤を使わずに濃度を測れる」点が効いてきます。粘性が高い・量が極微量で 正確に秤量できない試料でも、信号そのものから濃度を出せるためです。海洋毒(オカダ酸)のような 貴重試料の定量にも使われてきました。

信頼性の土台:SIトレーサビリティと認証標準物質

図解:SIトレーサビリティ。NMIJ CRMを起点に、有機溶媒系は1,4-BTMSB-d4、水系はDSS-d6を使い分ける
図解:SIトレーサビリティ ― NMIJ等のCRMを起点に、1,4-BTMSB-d₄(有機)/DSS-d₆(水)を使い分ける。

qNMRの大きな価値は、結果が国際単位系(SI)にトレースできることです。その連鎖を支えるのが、 純度が計量学的に値付けされた認証標準物質(CRM)です。日本では産総研の計量標準総合センター (NMIJ)が国家計量標準としてCRMを頒布し、試薬メーカーからも ISO 17034 認定のCRM (例:富士フイルム和光純薬の TraceSure シリーズ)が供給されています。

代表的な基準物質と溶媒の使い分けは次の通りです。

基準物質 有機系溶媒 水系溶媒 備考
1,4-BTMSB-d₄ × 有機溶媒系のデファクト標準。0 ppm付近に鋭い単一線
DSS-d₆ × 水系の化学シフト・定量基準
マレイン酸 両溶媒で使える汎用基準
ジメチルスルホン 両溶媒対応の基準物質

これらを「ものさし」に使うことで、化学的な基準が世界共通になり、分析データの国際的な相互承認が 可能になります。微量・希薄な試料ではクライオプローブや超偏極など感度向上技術と 組み合わせる場面もあります。

公定化・標準化の現状:日本薬局方からISOまで

図解:公定化・標準化。JP18の2.21、ISO 24583とJIS K0138、USP 761/1761の改訂、EP 2.2.33
図解:公定化 ― JP18〈2.21〉/ISO 24583・JIS K0138/USP〈761〉〈1761〉改正進行中/EP 2.2.33。

qNMRは「便利な研究手法」から「公的に認められた測定法」へと地位を確立しました。

  • 日本薬局方(JP):日本はqNMRを公定書に採り入れた世界の先駆けです。第十八改正日本薬局方 (JP18)の一般試験法〈2.21〉核磁気共鳴スペクトル測定法に定量NMRの記載が整備され、 「9.41 試薬・試液」の純度決定に内標準法によるqNMRが活用されています。標準物質の入手難に 左右されにくい点が、試薬の品質確保と相性が良いためです。
  • ISO / JIS:国内の JIS K0138(2018年制定) に続き、国際標準 ISO 245832022年に発行され、qNMRの一般的手順が国際規格化されました。これらの標準化には 日本定量NMR研究会(qNMR-J)が深く関与しています。
  • 米国薬局方(USP):NMRの一般章〈761〉と応用章〈1761〉を、qNMRを計量学的手法として 位置づける方向で改正する提案が進んでいます(前回改正は2013年)。分析目標プロファイル(ATP)や 目標測定不確かさ(TMU)といった計量学の枠組みを取り入れる点が特徴です。
  • 欧州薬局方(EP):一般章 2.2.33 Nuclear Magnetic Resonance Spectrometry が 定量・定性の両技術を扱っています。

広がる応用分野

図解:qNMRの応用分野。医薬品、天然物・生薬、食品、反応・プロセスへ広がる
図解:応用 ― 医薬品・天然物/生薬・食品・反応/プロセスへ。非破壊で多成分を一度に俯瞰できる。
  • 医薬品:原薬・不純物・治験薬の純度/含量試験。貴重・微量サンプルを非破壊で測れる利点。
  • 天然物・生薬:対照標準品が手に入らない新規・希少化合物の純度評価。生薬成分の定量研究も 進んでいます。
  • 食品・栄養:成分プロファイリングや真正性(産地・銘柄)の判別など、複数成分を一度に 俯瞰できる強みを生かした用途。
  • 反応・プロセスベンチトップNMRによるQC・反応モニタリングフローNMRでのオンライン定量でも、qNMR(PULCONを含む)が 活躍しています。

分析者の視点:qNMRをどう使い分けるか

図解:分析者の視点。標準品の有無・必要精度・試料制約に応じて内標準法と外標準法を選ぶ
図解:使い分け ― 標準品の有無・必要精度・試料の制約で内/外標準法を選ぶ。共通要件はSIトレーサビリティと5つの勘所。
  • 対照標準品が手に入らない/高価・希少:qNMRの絶対定量が最も効く場面。新規化合物・天然物・ 治験薬の純度決定にまず検討。
  • 最高精度がほしい:内標準法が基本。標準物質と試料が共存できる系で、不確かさを最小化。
  • 試料を汚したくない・回収したい・秤量しづらい:PULCON(ERETIC2)などの外標準法。
  • どの方式でも共通の勘所:D₁(T₁の5〜7倍以上)、90°パルス校正、¹³Cサテライト、十分な デジタル分解能、位相・ベースライン。「面積を正しく測る」ための条件管理が精度のすべてです。
  • 信頼性を示したい:NMIJ等のCRMを起点にSIトレーサビリティを確保し、規格(JP〈2.21〉・ ISO 24583)に沿って手順と不確かさを記録する。

まとめ

  • qNMRは、信号面積が核の数(モル)に比例する原理を使い、1つの標準物質で別の化合物を 絶対定量できる手法。HPLCの相対定量と相補的に使える。
  • 精確さの鍵は測定条件の管理:緩和遅延(T₁の5〜7倍以上)、90°パルス校正、¹³Cサテライト (約1.1%)、デジタル分解能、位相・ベースライン。
  • 方式は内標準法(最高精度)外標準法(PULCON/ERETIC2)。後者は秤量誤差を避けられ、 試料に混ぜずに測れる。
  • 信頼性はNMIJのCRMなどによるSIトレーサビリティで担保。1,4-BTMSB-d₄(有機)・ DSS-d₆(水)などを溶媒で使い分ける。
  • 公定化が進む:JP18〈2.21〉(試薬・試液9.41に活用)、JIS K0138・ISO 24583USP〈761〉/〈1761〉改正提案EP 2.2.33

用語集

  • qNMR(定量NMR):NMR信号の面積が核の物質量に比例する性質を使い、純度・含量を定量する手法。
  • 緩和遅延(D₁)/T₁:パルス間の待ち時間と縦緩和時間。回復不足は定量誤差の原因。
  • ¹³Cサテライト:¹³C(天然存在比約1.1%)と結合した ¹H が主ピーク両脇に作る小ピーク。
  • 内標準法/外標準法:標準物質を試料に混ぜるか否か。外標準法の代表がPULCON/ERETIC2。
  • PULCON:相反定理に基づき2スペクトルの絶対強度を結びつける外標準定量法。
  • CRM(認証標準物質):純度などが計量学的に値付けされ、トレーサビリティが表明された標準物質。
  • SIトレーサビリティ:測定結果を国際単位系まで途切れなくたどれる性質。
  • NMIJ:産業技術総合研究所 計量標準総合センター。日本の国家計量標準機関。

出典

  • 富士フイルム和光純薬「定量NMR(qNMR)」 — https://labchem-wako.fujifilm.com/jp/category/analysis/nmr_a1/qnmr_a/index.html /「qNMR用基準物質(TraceSure・標準品・標準液・NMIJ CRM)」 — https://labchem-wako.fujifilm.com/jp/category/00622.html
  • 日本定量NMR研究会(qNMR-J)「qNMRとは」(JIS K0138〈2018〉・ISO 24583〈2022〉への関与) — https://www.qnmr-jp.org/?page_id=3016
  • 第十八改正日本薬局方(JP18)一般試験法〈2.21〉核磁気共鳴スペクトル測定法/「9.41 試薬・試液」(PMDA 改正資料) — https://www.pmda.go.jp/files/000277974.pdf
  • 産業技術総合研究所 計量標準総合センター(NMIJ)「核磁気共鳴(NMR)分光法による有機化合物の定量分析法に関する調査研究」 — https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/bulletin/Vol9/1/V9N1P117.pdf
  • USP「Quantitative Nuclear Magnetic Resonance (qNMR), a Metrological Method—Proposed Revisions to USP General Chapters〈761〉/〈1761〉」(Stimuli article) — https://www.usp.org/sites/default/files/usp/document/workshops/stimuli-article-qnmr.pdf
  • ECA Academy「Revision of USP Chapter <761> NMR Spectroscopy and <1761> Applications of NMR Spectroscopy」 — https://www.gmp-compliance.org/gmp-news/revision-of-usp-chapter-761-nmr-spectroscopy-and-1761-applications-of-nmr-spectroscopy
  • PULCON 原著「Determination of the purity of pharmaceutical reference materials by ¹H NMR using the standardless PULCON methodology」J. Pharm. Biomed. Anal. (2014) — https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0731708514004087 /「Quantitative NMR Spectroscopy Based on PULCON Methodology: Okadaic Acid」(2016) — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5086654/
  • ¹³Cサテライト補正「¹³C-Satellite Decoupling Strategies for Improving Accuracy in Quantitative NMR」Analytical Chemistry (ACS) — https://pubs.acs.org/

注記:薬局方の章番号・規格番号・数値は上記資料の発表時点のもの。実務で適用する際は、最新の 日本薬局方・USP・EP・ISO/JIS の公式版および各CRMの認証書で必ず再確認してください。

制作メモ:本記事はディープリサーチで一次情報候補を収集し、編集側で薬局方・ISO/JIS・原著論文・ メーカー公式にあたって裏取りのうえ執筆しました。