熱分析の校正とトラブルシューティング ― 校正点は 0.0008 ℃ で定義されているのに、返ってくる Tg は条件で 3〜5 ℃ 動く【2026年版】
熱分析

熱分析の校正とトラブルシューティング ― 校正点は 0.0008 ℃ で定義されているのに、返ってくる Tg は条件で 3〜5 ℃ 動く【2026年版】

DSC の温度校正にはインジウムを使う。その凝固点は国際温度目盛 ITS-90 が 156.5985 ℃ と定義し、 最良の実現の標準不確かさは 0.8 mK ―― 0.0008 ℃ である。ところが同じ装置が返すガラス転移温度は、 冷却速度が 1 桁変わるだけで 3〜5 K 動く。比にして約 4 千〜6 千倍(筆者計算)。 さらに「オンセット」と「変曲点」のどちらを報告するかで数℃違い、そもそも Tg には 20 ℃ から 100 ℃ の 幅がある。日本薬局方〈2.52〉熱分析法は、この事情を知ったうえで書かれている ―― 測定結果には 「実験諸条件、最新の校正記録、試料の量と来歴(熱履歴を含む)、容器、雰囲気、温度変化の方向と速度、 装置と記録計の感度」を併記せよ、と 7 項目を列挙している。本記事は、校正点の側の精度と測定値の側の ばらつきの落差を軸に、DSC と TGA の校正・条件依存性・アーティファクトを一次資料の数値で追う。

DSC の温度校正には、インジウムを使う。

その凝固点は、国際温度目盛(ITS-90)の定義定点である。BIPM が公開している ITS-90 の実現ガイドの Table 1 には、こう書かれている。

物質 状態 T90 / K t90 / ℃ u(T90) / mK
ガリウム Ga 融点 302.9146 29.7646 0.2 (0.03)
インジウム In 凝固点 429.7485 156.5985 0.8 (0.2)
スズ Sn 凝固点 505.078 231.928 0.6 (0.2)
亜鉛 Zn 凝固点 692.677 419.527 0.8 (0.4)

156.5985 ℃。小数点以下 4 桁である。そして最良の実現の標準不確かさは 0.8 mK = 0.0008 ℃(括弧内は計量機関が主張する最小値)。

ところが、その同じ装置が返すガラス転移温度は、こうである。

as a rough "rule of thumb," a one-order change in the cooling rate produces a 3–5 K change in T g(大まかな目安として、冷却速度が 1 桁変わると Tg は 3〜5 K 変化する)

0.0008 ℃ 対 3〜5 ℃。比にして約 4 千〜6 千倍(筆者計算)である。

温度目盛の側は、これ以上ないほど正確に決まっている。落ちているのは、そこから先だ。

この記事の読み方

本記事の読み進め方を示す図。入門者は1〜4節で熱分析の値がなぜ条件付きなのかを、すでにDSC・TGAを回している読者は5〜9節と10〜11節を読む。筆者が計算した数値には明記している
図解:入門者は 1〜4 節。DSC・TGA を回している方は 5〜9 節と 10〜11 節が中核。
  • 入門者:1〜4節で「熱分析の値がなぜ条件付きなのか」を押さえてほしい。用語は初出時に補足する。
  • すでに DSC・TGA を回している方:5〜9節(条件依存性と熱ラグ)、10〜11節(TGA は DSC と別物)が中核。
  • 数値はすべて出典の原典を開いて確認した。筆者が計算した数値には「筆者計算」と明記し、モデルと仮定も書く。

1. 日本薬局方〈2.52〉が、測定結果に併記せよと書いている 7 項目

日本薬局方〈2.52〉が測定結果に併記せよと定める7項目を示す図。実験諸条件、最新の校正記録、試料の量と来歴(熱履歴を含む)、容器、雰囲気(種別・流速・圧力)、温度変化の方向と速度、装置と記録計の感度
図解:局方が挙げる 7 項目。これらを書かないと値が定まらない。

先に結論から入る。日本薬局方(JP19)の一般試験法〈2.52〉熱分析法は、DSC の操作方法の最後に、こう書いている。

それぞれの測定結果には以下のデータを併記する.実験諸条件,最新の校正記録,試料の量と来歴(熱履歴を含む),容器,雰囲気(種別,流速,圧力),温度変化の方向と速度,装置と記録計の感度.

7 項目である。これは「丁寧に書きましょう」という話ではない。これらを書かないと値が定まらない、ということだ。局方は、熱分析の値が条件付きであることを前提に条文を書いている。

TGA についても、同じ趣旨のことが独立に書かれている。

実験条件は重要であり,以下のパラメーターは測定ごとに記載する.圧力又は流速,気体の組成,試料量,昇温速度,温度範囲,処理時間を含む試料の前処理法.

そして校正の頻度についても。

装置が繁用される場合は温度校正を定期的に実施する.又は,測定の前に必ずこうした操作を行う

なお〈2.52〉は三薬局方(日米欧)での調和合意に基づく試験法であり、日本独自の追記は「◇ ◇」、調和対象項のうち非調和の部分は「◆ ◆」で囲まれている。後で見るように、TGA の天秤校正の標準物質はこの「◆ ◆」に入っている。

2. 温度校正の 3 つの金属 ― 局方は物質を指定し、値は指定しない

〈2.52〉の DSC の校正は、温度校正と熱量校正の 2 本立てである。

2.2.1. 温度校正 純粋な金属や有機化合物の融点,結晶性の無機塩や酸化物の相転移温度などの固有な熱的性質を有する適切な標準物質を用いて行われる.通例,熱分析用インジウム,熱分析用スズ,亜鉛(標準試薬)の融点が校正に用いられる. 2.2.2. 熱量校正 …通例,熱分析用インジウム,熱分析用スズ,亜鉛(標準試薬)の融解熱が校正に用いられる.

同じ 3 つの金属で、温度と熱量の両方を校正する。インジウム・スズ・亜鉛は、融点が 156 ℃・232 ℃・420 ℃ とほどよく散らばっており、医薬品の測定範囲をまたぐように選ばれている。

面白いのは、標準物質の規定のしかたである。JP19 の「9.44 標準粒子等」には、こう書かれている。

インジウム,熱分析用 熱分析用に製造したもの.ただし,純度99.99%以上のものを用いる. スズ,熱分析用 [K 8580,すず,特級.ただし,純度99.99%以上のもの]

純度は指定するが、融点の値は書いていない。

これは手抜きではなく、役割分担である。局方が指定するのは「物質と純度」で、その物質が何℃で融けるかは国際温度目盛の側が持っている。標準物質・検量線・トレーサビリティの記事で見た計量トレーサビリティの連鎖が、ここで実際に接続している。

💡 入門者向け:純度 99.99 % を要求する理由は、不純物が融点を下げるからである。皮肉なことに、〈2.52〉自身が「融解温度範囲の広がりは不純物についての敏感な指標である」と書き、DSC で純度を測る方法(van't Hoff 式)まで載せている。校正に使う金属は、その方法で不純物が見つかっては困る側の物質なのだ。

3. その値はどこにあるか ― ITS-90 の定義定点

冒頭の表をもう一度見てほしい。インジウム・スズ・亜鉛は、いずれも ITS-90 の定義定点である。

「定義定点」とは、温度目盛そのものを定義する点のことだ。インジウムの凝固点が 156.5985 ℃なのは、測った結果ではなく、そう定義されているからである。国際的な温度の物差しは、この十数個の定点をつなぐ形で作られている。

だから、DSC の温度校正は「インジウムという物質を借りて、国際温度目盛に自分の装置を接続する」作業になる。校正点の側は、これ以上望めないほど正確である。

4. 校正点の不確かさは 0.0008 ℃ である

ITS-90 の表の u(T90) は、「現在の最良の実用的実現の標準不確かさの推定値」である。インジウムで 0.8 mK、計量機関が主張する最小値では 0.2 mK

摂氏に直すと 0.0008 ℃。ガリウムに至っては 0.2 mK、最小 0.03 mK である。

熱分析の装置がこの精度で温度を返すことは、まずない。では、どこで落ちるのか。

5. 返ってくる Tg は、冷却速度が 1 桁変われば 3〜5 ℃ 動く

校正点の不確かさ 0.0008 ℃ と、冷却速度が1桁変わったときの Tg の変化 3〜5 ℃ を並べた図。比にして約4千〜6千倍の落差がある
図解:0.0008 ℃ 対 3〜5 ℃。比にして約 4 千〜6 千倍(筆者計算)。

医薬品の非晶質固体を扱う分析者向けに書かれた総説(Newman と Zografi、AAPS PharmSciTech 2020)は、ガラス転移温度についてこう書いている。

as a rough "rule of thumb," a one-order change in the cooling rate produces a 3–5 K change in Tg

そして、その帰結として。

Consequently, when reporting a value for Tg, it is important to report the exact conditions under which the amorphous solid was formed and the conditions by which Tg is measured.(したがって Tg を報告するときは、その非晶質固体がどういう条件で作られたかと、どういう条件で Tg を測ったかの両方を報告することが重要である)

作り方の条件と、測り方の条件の両方である。JP19〈2.52〉が「試料の量と来歴(熱履歴を含む)」を併記せよと書いていたのは、まさにこの前半にあたる。

比を取ると、こうなる(筆者計算)。

比べるもの 大きさ インジウム定義値の不確かさ (0.8 mK) との比
ITS-90 の定義定点の不確かさ 0.0008 ℃ 1 倍
冷却速度が 1 桁変わったときの Tg 変化 3 ℃ 約 3,750 倍
同上(上限) 5 ℃ 約 6,250 倍

校正点の精度と、返ってくる値のばらつきのあいだには、約 4 千〜6 千倍の落差がある。

これは装置が悪いという話ではない。ガラス転移が、そもそも速度に依存する現象だからである。ガラス転移は融解のような相転移ではなく、分子の動きが測定の時間スケールに追いつかなくなる点である。だから「どれくらいの速さで見るか」を決めなければ、温度も決まらない。

6. 「オンセット」か「変曲点」か ― 報告のしかたで数℃違う

さらに、同じ 1 本の曲線からでも、報告値は一意に決まらない。

There are numerous ways to report the Tg with the most common being the onset and inflection temperature… It is important to understand which temperature is being reported, since they can vary by several degrees, with significant impact on use and storage conditions.

オンセット温度と変曲点(中点)温度は数℃違いうる。そして総説は「保存条件に大きく影響する」と付け加えている。非晶質医薬品では「Tg より 50 ℃低い温度に置けば、結晶化と物理的老化を年単位(約 10⁸ 秒 = 900 日)で抑えられる」という経験則が使われるので、Tg が 3 ℃ずれれば保存温度の設定が 3 ℃ずれる。

なお、DSC のオンセット温度の定義は JP19〈2.52〉に明記されている。

事象の起こる温度(オンセット温度)は曲線の最大勾配の点(変曲点)における接線と基線の延長線との交点に相当する.熱事象の終点は曲線のピークで示される.

接線と基線の外挿の交点である。つまりオンセット温度は「測った点」ではなく「引いた線の交点」であり、どこに基線を引くかで動く。クロマトグラムの積分の記事と同じ構図がここにもある。

7. そもそも Tg には幅がある ― 20 ℃ から 100 ℃ まで

「Tg = 62 ℃」のように一点で書くことに、どれだけ意味があるのか。同じ総説が、高分子ブレンドの Tg のを表にしている。

PECH / PMMA 組成 Tg の幅 [℃]
100 / 0 20
85 / 15 26
70 / 30 65
50 / 50 80
30 / 70 100
0 / 100 40

幅は 20 ℃ から 100 ℃ まで、5 倍ひらく(筆者計算)。

幅が 100 ℃ ある転移について「Tg は ○○ ℃ です」と一点で報告することは、情報の大半を捨てていることになる。混合物・分散体では、Tg の幅そのものが混ざり具合の指標である。総説は、単一の Tg が観測されれば混和性の証拠になりうるが、幅の広がりは相分離や不均一性を示唆する、という趣旨で扱っている。

8. 昇温速度を変えたら、校正し直さなければならない

異なる走査速度を用いるなら校正し直さなければならないことを示す図。mDSC の熱容量校正は、測定と同じ変調プログラムで行う
図解:走査速度を変えたら校正し直す。mDSC は変調プログラムまで揃える。

ここが本記事のいちばん実務的な点である。同じ総説は、校正についてこう書いている。

It should be noted that instruments need to be calibrated whenever a different scan rate is employed to ensure that accurate values for temperature and heats of reaction are obtained.(装置は、異なる走査速度を用いるたびに校正されなければならないことに注意すべきである)

昇温速度を変えたら、その速度で校正し直す。

これは軽視されやすい。多くの現場では、校正は「装置の年次点検で 10 ℃/min で実施」して終わりにし、実測は目的に応じて 2 ℃/min や 20 ℃/min で行う。だが温度校正はその速度での熱ラグを含めて補正しているので、速度が変われば補正量も変わる。

なお mDSC(変調 DSC)では、これがさらに厳しくなる。総説は熱容量校正について、

This calibration should be performed using the same modulation program used for analysis.

と書いている。変調の振幅と周期まで揃えて校正する。

9. 熱ラグ ― なぜ速く昇温すると高温側にずれるのか

熱ラグの比を示す横棒グラフ。ΔT は昇温速度に比例するので、校正10 ℃/min・測定10 ℃/min なら比1.0、測定2 ℃/min なら0.2(過補正)、測定20 ℃/min なら2.0(不足)、校正2 ℃/min・測定20 ℃/min なら10.0(不足)
図解:比だけが決まる。絶対値は自分の装置で速度を振って実測するしかない。

理由は単純な熱の伝わりにある。

試料と温度センサーのあいだには必ず熱抵抗がある。試料が融け始めると熱を吸うので、試料の温度はセンサーが示す温度より低くなる。結果として、見かけのオンセットは真の融点より高温側にずれる。ずれの大きさは、そのとき流れている熱流に比例し、純物質の融解では熱流はほぼ昇温速度に比例する。

したがって、ずれは昇温速度にほぼ比例する。ここから、絶対値を仮定しなくても言えることがある(筆者計算)。

熱ラグによるずれを ΔT、昇温速度を β とすると ΔT ∝ β。 よって 校正時の速度 β_cal と測定時の速度 β_meas の比が、そのままずれの比になる。

校正した速度 測定した速度 熱ラグの比 補正のずれ
10 ℃/min 10 ℃/min 1.0 なし
10 ℃/min 2 ℃/min 0.2 校正で引いた分の 80 % が過補正として残る
10 ℃/min 20 ℃/min 2.0 校正で引いた分と同じだけ不足する
2 ℃/min 20 ℃/min 10.0 9 倍ぶん不足する

校正を 10 ℃/min で行い、測定を 2 ℃/min で行うと、校正が引いてくれた熱ラグの 8 割は「引きすぎ」になる。逆に 20 ℃/min で測れば、引き足りない。

⚠️ この表の読み方:比だけを示しており、絶対値(何℃ずれるか)は書いていない。絶対値は装置・パン・試料量・接触状態で変わるので、自分の装置で速度を振ってオンセットを測り、昇温速度ゼロへ外挿するしかない。総説も、真の Tg を求める方法として「異なる昇温速度で測って回帰し、速度が 0 ℃/min に近づくときの値へ外挿する」やり方を紹介している。

10. TGA の校正は DSC とは別物 ― キュリー温度と、天秤の校正

TGA の校正が3本立てであることを示す図。温度校正は常磁性物質のキュリー温度(ニッケル等)、質量校正はシュウ酸カルシウム一水和物の理論値、DTA同時測定機ではインジウム・スズ・亜鉛等の金属標準も用いる
図解:TGA の校正は 3 本立て。DSC の「インジウムを流して終わり」とは別物。

TGA を DSC と同じ感覚で校正してはいけない。〈2.52〉は TGA について、別の標準物質を挙げている。

1.2. 温度校正 試料の近傍にある,又は接触している温度センサーは,ニッケルのような常磁性物質のキュリー温度により校正する.TG/TGA と示差熱分析法(DTA)との同時測定が可能な装置においては,DSC や DTA と同様に,適切な標準物質(熱分析用インジウム,熱分析用スズ,亜鉛(標準試薬)等)を用いる.

TGA 単独機の温度校正は、金属の融点ではなくキュリー温度で行う。理由は明快で、TGA は質量しか測っていないから、融けても信号が出ないためである。強磁性体はキュリー温度で磁性を失うので、磁石を近づけておけばその温度で見かけの質量が変化する ―― これを温度の目印に使う。

そして天秤そのものの校正は、さらに別である。

1.3. 電子天秤の校正 ◆装置校正用シュウ酸カルシウム一水和物標準品◆又は適切な標準物質の適量を試料ホルダーに入れ,質量を量る.機器によって指定された昇温速度(例えば,毎分5℃)を設定し,加熱を開始する.…250℃付近で温度上昇を止める.質量減少に対応する測定開始時と終了時の質量-温度,又は質量-時間のプラトー部分の差を測定する.適切な標準物質の質量減少には理論値を用いる.

シュウ酸カルシウム一水和物は、加熱すると段階的に脱水・分解するので、質量減少の理論値がわかっている。それを使って天秤の読みを校正する。

なお、この標準品は「◆ ◆」で囲まれている ―― 三薬局方の調和対象でありながら非調和の部分、つまり日米欧で内容が揃っていない箇所である。

TGA の校正は 3 本立てになる。温度(キュリー温度)、質量(シュウ酸カルシウム一水和物などの理論値)、そして DTA 同時測定機なら金属標準も。DSC の「インジウムを流して終わり」とは別物である。

11. TGA でとくに効く条件 ― 局方が「測定ごとに記載する」と書いた 6 項目

1 節で引いた TGA の記載要件を、もう一度分解する。

圧力又は流速、気体の組成、試料量、昇温速度、温度範囲、処理時間を含む試料の前処理法

6 項目のうち 2 項目が雰囲気ガスに関するものである。TGA では、これが決定的に効く。

  • ガス組成:窒素中の熱分解と、空気中の酸化分解は、まったく別の曲線になる。同じ試料で分解温度が数十℃違うことも珍しくない。
  • 流速:発生ガスを掃き出す速さが変われば、分解の見かけの温度も変わる。流速はまた、浮力にも効く。

浮力については補足がいる。気体の密度は温度が上がると下がるので、試料とホルダーが受ける浮力は昇温とともに減る。その結果、何も起きていなくても見かけの質量が増える。これが TGA のベースラインが右上がりに見える主因のひとつで、対策は同じ条件で空のパンを測ってブランク減算することである。

⚠️ ブランク減算の落とし穴:ブランクは測定と完全に同じ条件(同じパン、同じ流速、同じ昇温速度、同じ温度範囲)で取らなければ意味がない。パンを変えたらブランクも取り直す。

TGA の位置づけについて、局方は日本独自の追記(◇ ◇)でこうも書いている。

◇なお,本法における測定法のうち,熱重量測定法は,乾燥減量試験法〈2.41〉又は水分測定法〈2.48〉の別法として用いることができる.ただし,水分測定法の別法として用いる場合,水以外に揮発性成分がないことを確認しておく必要がある.◇

TGA は「減った質量が何なのか」を区別しない。水分測定の代わりに使うなら、減っているのが水だけであることを別途確かめる必要がある。詳しくはTGA徹底解説STA(同時熱分析)とEGAの記事を参照してほしい。

12. 試料側の条件 ― パン、量、接触

試料側で効く条件を示す図。パンの種類(wet Tg は密閉パンが必須、150 ℃を超えるとシールが問題になりうる)、試料量と接触(参照側の初期質量を揃える、水分による圧力上昇を防ぐ)、繰り返し確認(熱履歴を消し、2回目と3回目が一致すれば Tg と確認できる)
図解:Tg かどうかを 1 回の測定で決めない。熱履歴を消して 2 回測る。

装置を正しく校正しても、試料側で崩れる。総説と局方から、効く要素を拾う。

  • パンの種類:総説は、水分を保持したい「wet Tg」測定では密閉(ハーメチック)パンが必須で、クリンプ・ピンホール・オープンパンを使ってはならないとしている。逆に「dry Tg」なら乾燥パージガス下でオープンパンも使える。
  • 密閉の限界:「シールの健全性はおよそ 150 ℃を超えると問題になりうると報告されている」。高温域では市販の高圧パン(約 150 bar)が要る。
  • 試料量:水分を含む試料を大量に入れるとパン内の圧力が上がり、パンの変形・漏れ・セルとの接触悪化を招き、再現性が落ちてアーティファクトの原因になる。
  • 参照側の重さを揃える:「試料側と参照側のパンの初期質量を揃えて、バックグラウンドの熱容量を最小にする」。密閉パンでは追加の質量補正が要ることもある。
  • 繰り返し確認:Tg かどうかを確かめる手順として、総説は「1 回目の昇温 → Tg より 50 ℃低い温度まで急冷 → 10 分保持 → 再昇温」を挙げ、2 回目と 3 回目が一致すれば Tg と確認できる。一致しなければ Tg ではない可能性があるとしている。

Tg かどうかを、1 回の測定で決めない。熱履歴を消してから 2 回測って一致を見る ―― これが最も費用対効果の高いトラブルシューティングである。

13. では、何を報告すればよいか

理想的な報告例。Tg(中点)=62 ℃、幅8 ℃、10 ℃/min 昇温、2回目の昇温、ハーメチックパン、窒素 50 mL/min、校正は同日インジウム 10 ℃/min
図解:「Tg = 62 ℃」ではなく、点の種類・幅・速度・パン・雰囲気・校正記録まで書く。

1 節に戻る。JP19〈2.52〉の 7 項目は、そのまま報告書のチェックリストになる。

局方が求める項目 実務でどう書くか
実験諸条件 装置名・型式・ソフトウェア
最新の校正記録 いつ・何で・どの昇温速度で校正したか
試料の量と来歴(熱履歴を含む 秤取量と、非晶質ならどう作ったか(急冷・粉砕・噴霧乾燥など)
容器 パンの材質と密閉方法(オープン/クリンプ/ハーメチック)
雰囲気(種別・流速・圧力) N₂ か空気か、流速 mL/min
温度変化の方向と速度 昇温か降温か、℃/min。校正時と同じか
装置と記録計の感度 レンジ設定

これに、本記事で見た 2 つを足す。

  • どの点を Tg として報告したか(オンセット / 中点・変曲点)
  • 転移の幅(開始温度と終了温度、あるいは ΔCp)

「Tg = 62 ℃」ではなく「Tg(中点)= 62 ℃、幅 8 ℃、10 ℃/min 昇温、2 回目の昇温、ハーメチックパン、N₂ 50 mL/min、校正は同日インジウム 10 ℃/min」と書く。長いが、この形なら他人が再現できるし、他所の値と比べてよいかどうかも判断できる。

分析者の視点

分析者が守るべき8つの原則を示す図。熱分析の値は条件付き、校正と測定の昇温速度を揃える、オンセットか中点かを必ず書く、Tg の幅も報告する、熱履歴を消して2回測る、TGA を DSC と同じ感覚で校正しない、TGA のブランクは完全に同じ条件で取る、水以外の揮発成分が無いことを別途確かめる
図解:8 つの原則 ― 校正した速度と測定する速度を揃える。
  1. 熱分析の値は、条件付きの値である。 JP19〈2.52〉が測定結果に 7 項目の併記を求めているのは、それが無ければ値が定まらないから(1節・13節)。
  2. 校正した昇温速度と、測定する昇温速度を揃える。 揃えられないなら、その速度で校正し直す。総説は「異なる走査速度を用いるたびに校正されなければならない」と明記している(8節)。
  3. Tg を報告するときは、オンセットか中点かを必ず書く。 数℃違い、保存条件の設定に直結する(6節)。
  4. Tg の「幅」も一緒に報告する。 混合物では幅そのものが混ざり具合の情報。20〜100 ℃ の開きがありうる(7節)。
  5. Tg かどうかは、熱履歴を消して 2 回測って確かめる。 2 回目と 3 回目が一致しなければ Tg ではないかもしれない(12節)。
  6. TGA を DSC と同じ感覚で校正しない。 温度はキュリー温度、質量はシュウ酸カルシウム一水和物などの理論値。3 本立てになる(10節)。
  7. TGA のブランクは、測定と完全に同じ条件で取る。 パンを変えたら取り直す。右上がりのベースラインは浮力を疑う(11節)。
  8. TGA を水分測定の代わりに使うなら、水以外の揮発成分が無いことを別途確かめる。 局方が明記している条件である(11節)。

まとめ

本記事の要点をまとめた図。定義定点はインジウム 156.5985 ℃、校正点と測定値の落差は約4千〜6千倍、TGA の記載要件は6項目、校正10 ℃/min で測定2 ℃/min なら引いた分の80 %が過補正、Tg の幅は20〜100 ℃で5倍の開き
図解:上流の温度目盛は正確。落ちているのは、そこから先である。
  • ITS-90 の定義定点:インジウム凝固点 156.5985 ℃(u = 0.8 mK、最小 0.2 mK)、スズ 231.928 ℃、亜鉛 419.527 ℃。JP19〈2.52〉が DSC の温度・熱量校正に挙げるのはこの 3 つ。
  • 局方は物質と純度(99.99 % 以上)を指定するが、融点の値は書いていない。値は国際温度目盛の側にある。
  • 校正点の不確かさ 0.0008 ℃ に対し、Tg は冷却速度が 1 桁変わると 3〜5 ℃ 動く。約 4 千〜6 千倍の落差(筆者計算)。
  • オンセットと変曲点は数℃違う。しかもオンセットは「接線と基線の外挿の交点」であって、測った点ではない(JP19 の定義)。
  • Tg には幅がある。PECH/PMMA ブレンドで 20 〜 100 ℃、5 倍の開き(筆者計算)。
  • 昇温速度を変えたら校正し直す。熱ラグは速度にほぼ比例するので、10 ℃/min で校正して 2 ℃/min で測れば、校正で引いた分の 80 % が過補正として残る(筆者計算・比のみ)。
  • mDSC の熱容量校正は、測定と同じ変調プログラムで行う。
  • TGA の校正は 3 本立て:温度=ニッケルなどのキュリー温度、質量=シュウ酸カルシウム一水和物(◆非調和部分◆)を 5 ℃/min・250 ℃ まで、DTA 同時測定機なら金属標準も。
  • TGA の記載要件は 6 項目で、うち 2 項目が雰囲気ガス。右上がりのベースラインは浮力を疑い、同条件のブランクで減算する。
  • TGA は減った質量の正体を区別しない。水分測定の別法にするなら、水以外の揮発成分が無いことを確認する(局方の条件)。
  • 報告は「Tg = 62 ℃」ではなく、点の種類・幅・速度・パン・雰囲気・校正記録まで書く。

用語集

  • ITS-90(1990年国際温度目盛):温度の実用的な国際目盛。十数個の定義定点(純物質の相平衡温度)をつないで作られる。インジウム凝固点 156.5985 ℃はその一つ。
  • 定義定点:温度目盛そのものを定義する点。測って求めた値ではなく、定義された値である。
  • オンセット温度:JP19〈2.52〉の定義では「曲線の最大勾配の点(変曲点)における接線と基線の延長線との交点」。外挿で決まるので、基線の引き方に依存する。
  • ガラス転移温度(Tg):非晶質固体がガラス状態から過冷却液体へ移る温度域。相転移ではなく速度に依存する現象なので、測定条件を書かなければ値が定まらない。
  • 熱ラグ:試料とセンサーのあいだの熱抵抗によって、試料の実温度とセンサー示度がずれる現象。ずれは熱流に比例し、純物質の融解では昇温速度にほぼ比例する。
  • キュリー温度:強磁性体が磁性を失う温度。質量しか測らない TGA で「温度の目印」に使える。
  • 浮力効果:気体の密度が温度上昇とともに下がるため、TGA で何も起きていなくても見かけの質量が増える現象。ブランク減算で補正する。
  • ハーメチックパン:完全密閉のパン。水分を保持したい測定に必須。ただしシールの健全性はおよそ 150 ℃超で問題になりうる。
  • mDSC(変調DSC):昇温に正弦波の変調を重ねる方式。可逆成分と非可逆成分を分離できるが、熱容量校正が追加で必要で、変調プログラムを測定と揃える必要がある。
  • 三薬局方調和:日本・米国・欧州の薬局方で内容を揃える取り組み。JP19 では、非調和部分を「◆ ◆」、日本独自の規定を「◇ ◇」で示す。

出典

  1. 第十九改正日本薬局方 一般試験法〈2.52〉熱分析法(厚生労働省、2026年4月10日告示・同日適用)― 三薬局方調和。TGA の温度校正(ニッケルなどのキュリー温度)、電子天秤の校正(◆シュウ酸カルシウム一水和物標準品◆、毎分5℃、250℃付近、プラトー部分の差、理論値)、TGA の記載要件6項目、DSC の温度校正・熱量校正(熱分析用インジウム/熱分析用スズ/亜鉛(標準試薬))、オンセット温度の定義(接線と基線の延長線との交点)、測定結果に併記する7項目、温度校正の頻度、van't Hoff 式による純度測定、TGA を乾燥減量・水分測定の別法とする際の条件(◇日本独自◇)。および 9.44 標準粒子等:熱分析用インジウム・スズはいずれも純度 99.99 % 以上。 https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/001689414.pdf
  2. BIPM, "Guide to the Realization of the ITS-90 — Introduction" (2018), Table 1: The defining fixed points of the ITS-90(国際度量衡局、無償公開)― Ga 融点 29.7646 ℃ / u = 0.2 (0.03) mK、In 凝固点 429.7485 K = 156.5985 ℃ / u = 0.8 (0.2) mK、Sn 凝固点 231.928 ℃ / u = 0.6 (0.2) mK、Zn 凝固点 419.527 ℃ / u = 0.8 (0.4) mK、Al 凝固点 660.323 ℃ / u = 2 (0.5) mK。u(T90) は「現在の最良の実用的実現の標準不確かさの推定値」、括弧内は計量機関が主張する最小値。 https://www.bipm.org/documents/20126/41773843/Guide_ITS-90_1_Introduction_2018.pdf
  3. A. Newman, G. Zografi, "Commentary: Considerations in the Measurement of Glass Transition Temperatures of Pharmaceutical Amorphous Solids", AAPS PharmSciTech 2020, 21(1), 26(doi:10.1208/s12249-019-1562-1)(CC BY、オープンアクセス)― 「a one-order change in the cooling rate produces a 3–5 K change in Tg」、「when reporting a value for Tg, it is important to report the exact conditions under which the amorphous solid was formed and the conditions by which Tg is measured」、オンセットと変曲点は「can vary by several degrees」、「instruments need to be calibrated whenever a different scan rate is employed」、mDSC の熱容量校正は「same modulation program」、インジウム(融点 156.6 ℃、融解熱 3.25 kJ/mol)、Table II の PECH/PMMA ブレンドの Tg 幅 20〜100 ℃、昇温速度を振って 0 ℃/min へ外挿する「真の Tg」、Tg より 50 ℃低温での安定化(約 10⁸ 秒 = 900 日)、密閉パンのシールは約 150 ℃超で問題になりうる、2 回目と 3 回目の昇温の一致による Tg の確認、試料側と参照側のパン質量を揃える。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6917632/

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本記事と関連する記事を示す図。標準物質・検量線・トレーサビリティ、DSC徹底解説、TGA徹底解説、STA(同時熱分析)とEGA徹底解説、TMA・DMAの実務、熱分析とは?、XRDと結晶多形、クロマトグラムの積分とピーク処理
図解:上流(トレーサビリティ)と各手法、そして「基線をどこに引くか」の 8 本。

未確認・限界

本記事の限界を示す図。ISO規格とICTAC文書の原文は参照していない、熱ラグの表は比だけを示し絶対値は示していない、冷却速度1桁で3〜5 K は経験則である、具体的な装置の仕様・純度測定・降温測定の校正は対象外
図解:熱ラグの表は比だけ。絶対値は自分の装置で実測する。
  1. ISO 11357(DSC)および ISO 11358(TGA)の原文は参照していない。 いずれも有償規格で、本記事の執筆時点で原文を入手できなかったため。校正手順に関する記述は、JP19〈2.52〉と査読済みの総説で確認できた範囲に限っている。
  2. ICTAC(国際熱分析・熱量測定連合)の推奨文書は参照していない。 主要なものは Thermochimica Acta 掲載で購読制であり、原文に到達できなかった。速度論解析(キネティクス)に踏み込まなかったのはこのためでもある。
  3. 9 節の熱ラグの表は「比」だけを示しており、絶対値は示していない。 ΔT ∝ β という関係から導ける比のみを載せた。何℃ずれるかは装置・パン・試料量・接触状態で変わるので、自分の装置で速度を振って実測する必要がある。この表の数値を自分の装置の予測値として使ってはいけない。
  4. 「冷却速度が 1 桁で 3〜5 K」は総説が "rule of thumb" として引いている経験則である。 物質によって大きく変わりうる。本記事の 4 千〜6 千倍という比は、この経験則を入力にした筆者計算であり、特定の物質についての実測値ではない。
  5. 具体的な装置の型番・仕様値は挙げていない。 メーカー公式の数値を自分で確認できたものが無かったため、本記事は局方・国際温度目盛・査読論文の側から記述している。Flash DSC のような超高速 DSC における校正の扱いも対象外とした。
  6. DSC による純度測定(van't Hoff 式)には踏み込んでいない。 JP19〈2.52〉に式まで載っているが、本記事は校正と条件依存性に主題を絞った。
  7. 降温測定(結晶化・過冷却)の校正には触れていない。 昇温と降温では熱ラグの向きが逆になるため別の扱いが要るが、局方は「温度変化の方向と速度」を併記せよと書くにとどまっており、具体的な手順を確認できなかった。

制作メモ:ディープリサーチで論点を洗い出したうえで、日本薬局方一般試験法 PDF の全文検索と〈2.52〉の精読、BIPM が無償公開する ITS-90 実現ガイドの Table 1、および Europe PMC 経由で取得したオープンアクセス総説により、編集側ですべての逐語と数値を原典で検証して執筆した。比・倍率・幅の計算は筆者が行い、その旨と仮定を都度明記している。