結晶構造解析の最前線 ― 47年ひとつだと信じられた医薬品の多形は、R 因子 0.19 の構造で二つに分かれた【2026年版】
元素・表面分析

結晶構造解析の最前線 ― 47年ひとつだと信じられた医薬品の多形は、R 因子 0.19 の構造で二つに分かれた【2026年版】

日本薬局方〈2.58〉には「8. 単結晶構造解析」という節がある。中身は3文しかなく、そのうち1文は 「有機結晶では…その構造解析を行うことは容易ではない」という警告である。判定値はゼロ。電子線回折・中性子・ 放射光・絶対配置は、一般試験法473ページを全文検索して1件も出てこない。ところがその「容易ではない」側では、 2022年にインドメタシンの多形がひとつではなく二つだったことが判明した ―― 1974年の報告から47年後、 幅 0.5〜2 µm の結晶から、R 因子 0.19 という X線なら受理されない数字で。本記事は、必要な結晶体積が 10⁵ → 10³ → 10⁻² µm³ と7桁下がった経緯、X線・電子線・中性子が「別のもの」を測っているために水素の位置が 食い違う仕組み(筆者集計:MicroED の実測376本は10種類すべてで中性子側に近い)、SPring-8 と NanoTerasu の 公称値の差、そして結晶構造予測が第7回ブラインドテストでどこまで届いたかを、すべて一次資料の数値で追う。

前回、XRD(粉末X線回折)と結晶多形の記事を書いたとき、末尾の「未確認・限界」にこう書いた ―― 単結晶構造解析には触れていない。〈2.58〉の8節に触れなかったのも同じ理由で、別記事の主題である、と。

その約束を果たす。まず、日本薬局方が単結晶構造解析について何を書いているかを見よう。

〈2.58〉の「8. 単結晶構造解析」は、3文しかない。しかもそのうち1文は、こういう内容だ。

しかしながら,有機結晶では格子パラメーターが比較的大きく,対称性が低く,通常は散乱特性が極めて低いため,その構造解析を行うことは容易ではない.

判定値は、ひとつも書かれていない。

そして、いま結晶構造解析の最前線を占めている語 ―― 電子線回折、中性子、放射光、絶対配置 ―― は、JP19 の一般試験法 473 ページを全文検索して1件も出てこない(筆者確認)。

局方が「容易ではない」と書いて手を引いたその先で、何が起きているのか。2022年、1965年から売られている医薬品インドメタシンの多形が、ひとつではなく二つだったことがわかった。1974年の最初の報告から47年後である。決着をつけたのは、幅 0.5〜2 µm の結晶に電子線を当てて得た、R 因子 0.19 の構造だった ―― X線の単結晶解析なら、まず受理されない数字で。

この記事の読み方

本記事の読み進め方を示す図。入門者は1〜5節で回折が何を測っているのかを、すでに回折を使っている読者は4節・6〜7節・14節の中核データを読む。数値はすべて出典の原典を開いて確認している
図解:入門者は 1〜5 節から。回折を使っている方は 4 節・6〜7 節・14 節が中核。
  • 入門者:1〜5節で「回折で何を測っているのか」「なぜ手法ごとに答えが違うのか」を押さえてほしい。用語は初出時に補足する。
  • すでに回折を使っている方:4節(筆者集計)、6〜7節(インドメタシンと R 因子)、14節(結晶構造予測の到達点)が本記事の中核。
  • 数値はすべて出典の原典を開いて確認した。筆者が自分で計算・集計した数値には「筆者計算」「筆者集計」と明記する。

1. 日本薬局方が「単結晶構造解析」に割いたのは、3文だった

JP19 一般試験法〈2.58〉粉末X線回折測定法は、5ページある。その最後、「8. 単結晶構造解析」の全文はこうだ。

一般的に結晶構造は単結晶を用いて得られたX線回折データから決定される.しかしながら,有機結晶では格子パラメーターが比較的大きく,対称性が低く,通常は散乱特性が極めて低いため,その構造解析を行うことは容易ではない.ある物質の結晶構造が既知である場合は,対応する粉末X線回折パターンの計算が可能であり,相の同定に利用可能な選択配向性のない標準粉末X線回折パターンが得られる.

読み方に注意がいる。この節は「単結晶構造解析のやり方」を書いていない。書いているのは、「単結晶構造解析の結果があれば、そこから理想的な粉末パターンを計算できる」という粉末回折のための使い道である。局方にとって単結晶解析は、目的ではなく、粉末の参照パターンを作るための材料なのだ。

同じ〈2.58〉の脚注は、リートベルト法についてこう書いている。

もし,全ての成分の結晶構造が既知の場合,リートベルト(Rietveld)法により高精度の定量分析が可能である.成分構造が既知ではない場合,ポーリー(Pawley)法又は最小二乗法を用いることができる.

つまり局方の枠組みは、「構造が既知である」ことを前提にして組まれている。構造をこれから決める話は、〈2.58〉の外にある。

一般試験法を全文検索して、無かった語

前回の XRD 記事で「蛍光X線」が 0 件だったのと同じ手続きを、今回の主題に対して行った(JP19 一般試験法 PDF 473 ページ、筆者確認)。

検索語 一般試験法での出現ページ数
回折 15
単結晶 4(うち構造解析の文脈は 1)
結晶構造解析 1
電子線回折 0
中性子 0
放射光 0
絶対配置 / 絶対構造 0 / 0
水素結合 0

「単結晶」の 4 件のうち、構造解析の文脈は〈2.58〉8節の 1 件だけだった。残る 3 件は、粒子形状の定義(「粒子は液体又は半固体状の液滴,単結晶又は多結晶…」)と、赤外吸収スペクトル用の塩化カリウム・臭化カリウム単結晶である。錠剤を作るための材料としての「単結晶」であって、構造解析とは関係がない。

局方は、結晶構造をこれから決める人のための文書ではない。それを踏まえたうえで、その先を見ていく。

2. 何を測っているのか ― X線は電子雲、電子線は静電ポテンシャル、中性子は原子核

プローブごとに測っている物理量が違うことを示す図。X線は電子雲(電子密度)、電子線は静電ポテンシャル(電子密度と核電荷の両方の寄与)、中性子は原子核(核の位置)を返す
図解:同じ結晶でも、当てるものが変われば返ってくる地図が変わる。

「結晶構造解析」とひとことで言うが、プローブ(当てるもの)が変わると、測っている物理量そのものが変わる。ここが本記事の土台になる。

  • X線 は電子によって散乱される。得られる地図は電子密度である。
  • 電子線 は電荷を持つので、原子核の正電荷に引かれ、電子雲に反発する。得られる地図は静電ポテンシャルである。これは電子密度と核電荷の両方の寄与を含む。
  • 中性子 は原子核そのものによって散乱される。得られるのは核の位置である。

Chem Rev のレビューは、電子散乱についてこう書いている。

incident electrons experience electrostatic attraction toward protons in atomic nuclei in addition to repulsion from ρ(r)(入射電子は、電子密度からの反発に加えて、原子核中の陽子への静電引力を受ける)

この違いは、原子番号への依存の仕方に直結する。X線では、

heavier atoms always scatter X-rays more strongly than lighter atoms, regardless of resolution(重い原子は、分解能によらず常に軽い原子より強くX線を散乱する)

ところが電子線ではそうならない。同じレビューが具体的な数字を出している。

at 0.2 Å⁻¹ (2.5 Å), for example, iron scatters electrons merely 2.4× more strongly than carbon. This ratio grows to approximately 6× for X-rays

鉄と炭素の散乱強度比は、電子線では 2.4 倍、X線では約 6 倍。電子線では元素間の差が縮む。だから、

This property empowers ED to detect and localize atoms such as hydrogen, which typically scatter X-rays very weakly(この性質により、電子線回折は、通常X線をきわめて弱くしか散乱しない水素のような原子を検出・位置決定できる)

一方で電子線には代償もある。同じ元素でも、

boron becomes a stronger electron scatterer than carbon, nitrogen, and oxygen at low resolution despite its smaller atomic mass. This order is reversed at scattering angles corresponding to high resolution

低分解能ではホウ素が炭素・窒素・酸素より強く散乱し、高分解能では順序が逆転する。X線では起こらないことだ。さらに、

in ED, certain elements become physically indistinguishable at specific scattering angles(電子線回折では、特定の散乱角で、ある元素同士が物理的に区別できなくなる)

元素の見分けやすさという点では、X線のほうが素直である。軽元素の見えやすさでは電子線が勝る。どちらが優れているという話ではなく、測っている量が違う

3. だから水素の位置が食い違う ― X線用の理想値は、中性子用より 0.10〜0.16 Å 短い

ここから具体的になる。

水素原子は電子を 1 個しか持たない。そしてその 1 個は、結合相手の原子のほうへ引き寄せられている。したがって、X線が見る「電子雲の重心」は、実際の原子核の位置より結合相手に寄る。X線で構造を精密化するとき、C–H 距離が短く出るのはこのためだ。

この差は、ソフトウェアの既定値にそのまま組み込まれている。SHELXL の作者 Sheldrick は、中性子データ用のコマンド NEUT についてこう書いている。

H or D atoms are lengthened to correspond to internuclear distances rather than the distances appropriate for refinement against X-ray data(H・D 原子は、X線データに対する精密化に適した距離ではなく、核間距離に対応するよう伸ばされる)

つまり、同じソフトウェアが、X線用と中性子用で違う水素の長さを持っている。

具体的な値は、MicroED の論文が表にまとめている(Gruene らの理想値)。

結合 X線で使う理想値 [Å](電子雲重心) 中性子で使う理想値 [Å](核間距離) 差 [Å] 短縮率
Cα–H 0.98 1.10 0.12 10.9 %
C芳香環–H 0.93 1.08 0.15 13.9 %
C–H₂ 0.97 1.09 0.12 11.0 %
C–H₃ 0.96 1.06 0.10 9.4 %
N–H 0.86 1.01 0.15 14.9 %
N–H₂ 0.89 1.03 0.14 13.6 %
O–H 0.82 0.98 0.16 16.3 %

(差と短縮率は筆者計算。原典は左 2 列。原典の表は 10 行あるが、同じ理想値を共有する結合種があるため、ここでは重複を除いた 7 行で示す。)

X線用の理想値は、中性子用より 0.10〜0.16 Å 短い。原典の 10 行全体では短縮率 9.4〜16.3 %、単純平均 13.1 %(筆者計算)。O–H がいちばん大きく縮む ―― 酸素は電気陰性度が高く、水素の電子をよく引き寄せるからだ。

そして重要なのは、多くのX線構造では、水素の位置は「測った値」ではないということである。ライディングモデル(riding model)といって、重原子の位置から幾何学的に置いた位置に、上表のような固定長で乗せる。差フーリエ図に水素のピークが見えていなくても、報告書には水素の座標が並ぶ。

⚠️ 入門者向けの補足:これは不正でも手抜きでもない。X線では水素の散乱がきわめて弱く、通常の分解能では位置を実測できないので、わかっていることを使って合理的に置くのが標準的な作法である。問題は、出力された座標を見た人が「測った」と誤解することにある。

4. 筆者集計:MicroED の実測 376 本は、10 種類すべてで中性子側に近かった

では、電子線は実際にどちらの値を返すのか。ここが本記事の最初の核心である。

Clabbers・Gonen らのグループは、三斜晶のニワトリ卵白リゾチーム0.87 Å という分解能まで MicroED(微結晶電子線回折)で測り、水素を除いたモデルで差フーリエ図を計算した。2.0σ 以上のピークのうち、理想的なライディング位置から 0.5 Å 以内にあるものを水素とみなして数えたところ、

we located 376 out of 1067 possible hydrogen atoms corresponding to about 35 % of the entire structure

閾値を 1.0σ まで下げると 562 個(約 53 %)になるが、偽陽性が増えるので採らない、と論文は書いている。主鎖では Cα–H が 141 本中 61 本(43 %)、ペプチド N–H が 127 本中 76 本(60 %)だった。

この 376 本について、論文は結合種別の平均実測長を表にしている。筆者はそれを、上表の「X線の理想値」「中性子の理想値」と突き合わせ、どちらに近いかを 10 行すべてで数えた

結合 観測数 MicroED 実測 [Å] X線理想値との差 中性子理想値との差 近いのは
Cα–H 61 1.11 0.13 0.01 中性子
C側鎖–H 14 1.25 0.27 0.15 中性子
C芳香環–H 17 1.13 0.20 0.05 中性子
C–H₂ 99 1.17 0.20 0.08 中性子
C–H₃ 77 1.09 0.13 0.03 中性子
N–H 44 1.02 0.16 0.01 中性子
N–H⋯O 38 1.05 0.19 0.04 中性子
N–H₂ 13 1.08 0.19 0.05 中性子
N–H₃ 3 1.13 0.27 0.12 中性子
O–H 10 1.13 0.31 0.15 中性子

10 種類すべてで、中性子の理想値のほうが近い。X線側が近かった行はゼロだった(筆者集計)。

ずれの大きさも計算した。

  • 単純平均:X線理想値からのずれ 0.205 Å / 中性子理想値からのずれ 0.069 Å約 3.0 倍
  • 観測数で重み付け(全 376 本):0.174 Å / 0.049 Å約 3.6 倍

論文自身の結論も同じ方向を向いている。

the hydrogen bond lengths are more accurately described by the inter-nuclei distances than the centers of mass of the corresponding electron clouds

電子線は、電子雲の重心ではなく、核間距離に近いものを返している。静電ポテンシャルが核電荷の寄与を含むことを思い出せば、当然の帰結だ。

参考までに、同じ三斜晶リゾチームのX線構造(120 K、0.93 Å)では、1.8σ の等高線で 127 本中 77 本(61 %)のペプチド N–H が同定されている。X線でも高分解能なら水素は見える。ただしそれは 0.9 Å 級のデータが取れた場合の話で、通常の医薬品原薬の構造解析でそこまで出ることは多くない。

5. 必要な結晶の大きさ ― ラボ 10⁵、放射光 10³、電子線 10⁻² µm³

「容易ではない」の中身の大半は、結晶が育たないことである。

Chem Rev のレビューは、手法ごとに必要な結晶体積を数値で書いている。

in a routine XRD experiment conducted on an in-house diffractometer, a macroscopic crystal at least ∼10⁵ μm³ in volume is desired High-flux microfocus beamlines at third-generation synchrotron facilities can push this lower-size threshold down to ∼10³ μm³; … crystals with dimensions as small as 1–10 μm on one side incident electrons can produce tractable diffraction from minuscule crystals many orders of magnitude smaller in volume (∼10⁻² μm³)

整理すると、こうなる(1辺の長さは筆者計算、立方体と仮定)。

手法 必要な結晶体積 立方体なら1辺
ラボの単結晶X線回折計 約 10⁵ µm³ 約 46 µm
第三世代放射光のマイクロフォーカス BL 約 10³ µm³ 約 10 µm
3D電子線回折(3D-ED / MicroED) 約 10⁻² µm³ 約 0.22 µm(220 nm)

ラボの回折計と電子線回折で、必要体積は 10⁷ 倍 ―― 7 桁違う(筆者計算)。1辺の長さでは 215 倍である。

そしてレビューはこう続ける。

Below this 1 μm limit, crystals quickly become smaller than the wavelength of visible light, rendering them invisible to optical microscopy

1 µm を切ると、結晶は可視光の波長より小さくなり、光学顕微鏡では見えなくなる。「単結晶が得られなかった」と書かれてきた無数の化合物は、実際には結晶ができていたが、見えていなかっただけかもしれない ―― という話になる。

ただし電子線側にも上限がある。

Atomic-resolution ED data have been routinely recorded from crystals hundreds of nanometers thick. Nevertheless, as crystal thicknesses approach the 1 μm mark, data quality rapidly deteriorates

電子線回折は「小さければ小さいほどよい」ではなく、厚さ数百 nm あたりに最適域がある。厚くなると非弾性散乱が増えて質が落ちる。X線とは逆向きの制約だ。

6. 47年の誤り ― インドメタシンの δ 形は、二つあった

インドメタシン Form δ の 47 年をたどる図。1974年の報告から2022年の訂正まで。3D電子線回折に使われた結晶の幅は融液由来が 0.5〜2 µm、溶液由来が 0.5〜2.5 µm で、ラボのX線回折計が求める 46 µm 級には遠く及ばない
図解:47 年わからなかった理由は、結晶が細すぎたこと。それだけだった。

ここが本記事の二つめの核心である。

インドメタシン(非ステロイド性抗炎症薬、1965年発売)の多形の歴史を、原典に沿って並べる。

  • 1974年:Borka が3番目の真の多形(融点 134 °C)を Form III として報告。作り方は 2 通り ―― 融液から 70〜90 °C で自然に結晶化させる方法と、温めたメタノール溶液から結晶化させる方法
  • 1998年:Joshi が溶媒和物の脱溶媒で Form III を得て、初めて粉末X線回折パターンを報告。
  • 2002年:Crowley らが Joshi の方法で調製し、この多形を Form δ と改称。
  • 以降、融液からの結晶化と溶液からの結晶化は、どちらも Form δ を与えると理解されてきた。
  • 2013年に ε・η・ζ、2018年に 7 番目の多形が追加。

ここで押さえておくべき数字がある。7 つの多形が知られていたのに、2021年の時点で結晶構造が決まっていたのは 2 つだけだった ―― Form γ(P-1、Z = 2、1972年報告)と Form α(P2₁、Z = 6、2002年報告)である。

粉末回折は「別の相がある」ことは教えてくれる。だが「その相がどんな構造か」は、そのままでは教えてくれない。この差が、47年ぶんたまっていた。

2022年、ストックホルム大学と中山大学のグループが 3D 電子線回折でこれを解いた。結果は予想外だった。

we reveal the truth that melt-crystallized and solution-crystallized δ-indomethacin are in fact two polymorphs with different crystal structures(融液由来と溶液由来の δ-インドメタシンは、実は異なる結晶構造を持つ二つの多形である)

同じ Form δ と呼ばれてきた 2 つは、別の相だった。論文は、溶液由来のほうを Form δ のまま残し、融液由来のほうを Form θ と命名した。

決め手になった格子定数は、こうである。

融液由来(新 Form θ) 溶液由来(Form δ)
空間群 Cc(No. 9) P2₁(No. 4)
a [Å] 4.786(1) 18.301(5)
b [Å] 56.999(9) 5.123(1)
c [Å] 12.908(2) 18.564(6)
β [°] 99.57(1) 95.80(1)
単位格子体積 [ų](筆者計算) 3472 1732

空間群も格子定数も違う。議論の余地がない。しかも融液由来のほうは b 軸だけで 57.0 Å ―― a 軸の 11.9 倍という細長い格子で(筆者計算)、これでは粉末回折のピークが重なりすぎて、粉末からの構造決定は現実的でない。

なぜ 47 年わからなかったのか。論文自身が書いている。

The crystals have a needle-like morphology … and are too thin for sufficient X-ray diffraction. The small size of the single crystals may be the reason why the two structures have remained unknown for such a long time.

結晶が細すぎた。それだけである。使われた結晶の幅は 0.5〜2 µm(融液由来)/0.5〜2.5 µm(溶液由来)。前節の表に照らせば、ラボのX線回折計が求める 46 µm 級には遠く及ばず、放射光のマイクロフォーカスでも下限近くだ。

なお、この 2 つの多形はどちらも塑性変形する(曲げられる)ことも判明し、論文は「二つの塑性多形を持つ最初の医薬品」と書いている。

7. その構造の R 因子は 0.19 だった ― CSD の 94 % は R < 10 % なのに

ここが本記事の三つめの核心である。

47 年の誤りを訂正したこの構造の、精密化の質を示す数字を見よう。

融液由来(Form θ) 溶液由来(Form δ)
分解能 [Å] 1.03 1.15
データ完全性 70.2 % 75.0 %
I/σ(I) 3.7
R1(全反射) 0.1914 0.1724

一方、ケンブリッジ結晶構造データベース(CSD)の公式解説論文は、収録エントリの分布をこう報告している。

2006年 2015年
エントリ数 400,374 800,239
新規エントリ(年) 34,030 60,122
「有機」に分類される割合 43 % 43 %
R 因子 < 10 % のエントリ 92 % 94 %
1 構造あたり平均原子数 68.6 80.6
ポリマー性エントリ 7 % 11 %

CSD の 94 % は R < 10 % である。インドメタシンの新構造は 0.19 ―― その約 1.9 倍(筆者計算)。X線の単結晶構造としてこの数字が出てきたら、まず論文誌を通らない。

さらに、直接法では解けてすらいない。

Although the merged data had sufficient resolution (1.03 Å), and I/σ(I) (3.7), the structure could not be solved by direct methods. This was likely due to the low completeness (70.2 %) with missing diffraction information around the b*-axis

グリッド上での結晶の選択配向と、試料ホルダーの傾斜範囲の制限で、b 軸まわりのデータが取れなかった。そこで Sir2014 のシミュレーテッドアニーリング*(焼きなまし法)に切り替え、CSD の γ 形(refcode INDMET)の結合性から作った剛体断片を出発点にして解いている。

この数字をどう読むべきか。

「R = 0.19 なら信用できない」は、正しくない。電子線回折では動力学的散乱(多重散乱)が避けられず、運動学的近似で計算した強度と実測が原理的にずれる。Chem Rev はこれを「何十年ものあいだ、電子線結晶学による正確な構造決定に立ちはだかる手強い障壁と考えられてきた」と書いている。電子線回折の R 因子は、X線の R 因子と同じ物差しではない。

そして、この構造が正しいことは別の方法で確かめられている ―― 計算した粉末パターンが実測とよく一致すること、そして別のグループ(Andrusenko ら)が独立に溶液由来 δ の構造を解いており、結果が一致したこと。

受入基準を手法ごとに持つべきだ、というのが本節の結論である。X線の物差しをそのまま当てれば、47 年の誤りを訂正した構造は捨てられていた。

8. 解析ソフトウェアは 1 本ではない ― 実際は 5 本のリレーだった

「最新ソフトウェア」を単体で並べても意味が薄い。実際の 1 構造がどう流れたかを追うほうが早い。前節のインドメタシンで使われたソフトウェアは、次のとおりである。

段階 ソフトウェア 役割
指数付け REDp 回転電子線回折フレームから逆格子を決める
積分・マージ XDS 反射強度を積分し、複数データセットを統合
格子定数の精密化 TOPAS-Academic v6(ポーリー法) 粉末X線回折データで格子定数を精密化
位相決定 Sir2014(焼きなまし法) 直接法が失敗したため代替
精密化 SHELXL 最小二乗法で構造を精密化

5 本を渡り歩いている。しかも 3 番目では、電子線のデータではなく粉末X線のデータを使っている ―― 電子線回折は格子定数の絶対値がやや不正確になりやすいので、粉末で補正するのが定石だ。「電子線回折で構造を決めた」という一文の裏には、この分業がある。

主要ソフトウェアの守備範囲を整理しておく。

  • SHELX 系(SHELXT / SHELXL):小分子単結晶解析の事実上の標準。SHELX の起源は 1970 年ごろにさかのぼり、最初の公開版は 1976 年。2015 年の時点で登録ユーザーは 80 か国以上・8000 人超と作者自身が書いている。
  • OLEX2 / CrysAlisPro:SHELX 系を呼び出す GUI とデータ処理。実務ではここが入口になる。
  • TOPAS / GSAS-II / Jana:粉末回折のリートベルト精密化、および変調構造・非整合構造。Jana 系は超空間群を扱える。
  • XDS / DIALS:もともと放射光の巨大分子結晶学のための積分ソフト。3D-ED でもそのまま使われている(上表のとおり)。
  • Sir 系:直接法と焼きなまし法。直接法が効かない低完全性データの受け皿。
  • PDFgui / diffpy:全散乱 PDF 解析(13節)。

ひとつのソフトが全部やるわけではない。どこで何をしているかを把握していないと、出力の意味を読み違える。

9. 絶対構造 ― Flack パラメータの不確かさは、長いあいだ過大評価されていた

キラルな医薬品では、どちらの鏡像異性体かを決めることが構造解析の目的そのものになる。ここに、実務上見落とされやすい変化があった。

かつては「重原子を入れないと絶対構造は決まらない」とされ、臭素置換体やルビジウム塩を作るのが定石だった。Sheldrick は 2015 年にこう書いている。

the absolute structure can often even be determined with Mo Kα radiation when the heaviest atom is oxygen(最も重い原子が酸素でも、Mo Kα 線で絶対構造が決まることが多い)

そして、評価方法そのものが変わった

it has become clear that this led to a substantial overestimation of the standard uncertainty of the Flack parameter(従来の全行列精密化による Flack パラメータの決定は、その標準不確かさを大幅に過大評価していたことが明らかになった)

いまは、Hooft らのベイズ的手法か、Parsons らのフリーデル対の商を観測量とする後処理法が使われる。これに伴い、

This led to the IUCr/checkCIF requirement that Friedel opposites should not be merged in the deposited data

フリーデル対をマージしたデータを出してはいけないというルールになった。古い装置設定のまま「対称性でマージ」してしまうと、絶対構造の判定ができなくなる。

もうひとつ、実務者が知っておくべき警告が同じ論文にある。

a Flack parameter of 0.5 with a small standard uncertainty is a warning sign that the true space group might be centrosymmetric!(Flack パラメータが 0.5 で不確かさが小さいときは、真の空間群が中心対称である可能性を疑うべき警告サインである)

Flack が 0.5 と出たとき、「ラセミ双晶だ」と結論する前に空間群を疑え、ということだ。

なお、日本薬局方の一般試験法に「絶対配置」「絶対構造」の語は 1 件も無い(1節)。旋光度〈2.49〉や円偏光二色性〈2.28〉は光学的性質を測るが、どちらの鏡像異性体かを構造として確定するのは回折の仕事である。

10. 放射光 ― SPring-8 と NanoTerasu は、公称値で何が違うのか

放射光施設は「明るいX線が出る」で片づけられがちだが、公称値を並べると設計思想の違いが見える。両施設の公式ページに掲載されている値である。

SPring-8 NanoTerasu
電子エネルギー < 8 GeV 3 GeV
蓄積リング周長 1435.95 m 349 m
エミッタンス 2.4 nm·rad(天然) 1.14 nm·rad(水平)
蓄積電流 100 mA(公称) 400 mA(設計)
臨界光子エネルギー 28.9 keV
臨界波長 0.429 Å
ビームラインポート 最大 28

筆者計算で並べ直すと、NanoTerasu の周長は SPring-8 の 24.3 %(約 4.1 分の 1)、エミッタンスは 0.47 倍である。

エミッタンスは電子ビームの「広がり」で、小さいほど輝度が高く、細く絞れる周長が 4 分の 1 なのにエミッタンスが半分以下というのが、NanoTerasu が「高輝度」を名乗る根拠だ。一方、SPring-8 は 8 GeV という高いエネルギーゆえ臨界光子エネルギーが 28.9 keV と高く、硬X線が強い ―― 厚い試料や重元素を含むバルク、高圧下その場測定のような、透過力を要する実験に向く。

結晶構造解析の文脈で放射光が効くのは、5節で見たとおり 10³ µm³(1辺 1〜10 µm)まで結晶を小さくできる点である。ラボの回折計と 3D 電子線回折のあいだを埋める位置にある。

11. XFEL ― 壊れる前に回折させる

X線自由電子レーザー(XFEL)は、放射光とは別の解を出した。SACLA(理研・播磨)のビームライン公称値は次のとおり。

項目
パルス幅 6〜30 fs(FWHM)
光子エネルギー < 20 keV(基本波)
繰り返し 最大 60 Hz
パルスあたり光子数 2×10¹¹ 〜 5×10¹¹ photons/pulse @ 10 keV
ピークパワー 29 〜 50 GW @ 10 keV
パルスエネルギー 0.31 〜 0.78 mJ/pulse @ 10 keV

6 fs のあいだに光が進む距離は 1.80 µm しかない(筆者計算)。結晶より短い、と言ってよい。

この極端な短さが何を可能にするか。Chem Rev のレビューはこう表現している。

XFELs come closest to generating diffraction patterns undistorted by radiation damage because each successive crystal is exposed to a femtosecond-scale X-ray pulse only once before it is annihilated (as encapsulated in the mantra "diffraction before destruction")

「破壊される前に回折する」。試料は 1 発ごとに蒸発するので、微結晶の懸濁液を次々に流し込んで 1 枚ずつ撮り、後から統合する。これが連続フェムト秒結晶構造解析(SFX)である。放射線損傷を「防ぐ」のではなく、損傷が現れるより前に測り終えるという発想の転換だった。

12. 中性子 ― 水素を「測る」唯一の手段

3〜4節で見たとおり、水素の核の位置を直接測れるのは中性子だけである。X線は電子雲を見るので核からずれ、電子線は静電ポテンシャルを見るので核に近いが分解能の制約を受ける。

中性子が効く場面は、水素だけではない。

  • 水素結合ネットワーク:医薬品の多形の違いは、多くの場合ここにある。前述のとおり、JP19 一般試験法に「水素結合」の語は 1 件も無い。
  • 軽元素と重元素の共存系:X線では重元素の陰に隠れる軽元素(リチウム、酸素)が見える。リチウムイオン電池材料の解析でこれが効く。
  • 磁気構造:中性子は磁気モーメントを持つので、原子核だけでなくスピンの配列も見える。X線では原理的に見えない情報である。
  • 同位体置換:水素と重水素は中性子に対する散乱長が大きく違うので、重水素化で特定部位だけを浮かび上がらせられる。

引き換えに、中性子回折は大きな結晶を要求する。中性子源の強度が放射光に比べて桁違いに低いためで、mm 級の単結晶が必要になることが多い。5節の表の右端(電子線 10⁻² µm³)と、まさに正反対の端にある。

なお、日本の中性子源としては J-PARC の物質・生命科学実験施設(MLF)があるが、本記事の執筆時点で公式サイトの該当ページを開けなかったため、公称仕様値は記載しない(末尾「未確認・限界」参照)。

13. 非晶質とナノ結晶 ― PDF 解析は、構造を一意に決めない

ここまでは「結晶がある」前提だった。無機材料の実務では、そうでない場合が多い ―― 触媒、電池材料、ガラス、非晶質医薬品。

全散乱 PDF 解析(pair distribution function、二体分布関数)は、ブラッグ反射だけでなく回折パターン全体(散漫散乱を含む)をフーリエ変換し、「ある原子からの距離 r に、他の原子がどれくらいの確率で存在するか」という実空間の分布を得る。周期性を仮定しないので、非晶質でもナノ結晶でも結果が出る。無機材料の局所構造(歪み、短距離秩序)を見るときの主力である。

だが、ここに本記事全体と同じ形の限界がある。オックスフォードの Goodwin らは 2024 年の論文でこう書いている。

the real problem to be addressed is not "given a PDF, what is the corresponding structure?"—since in general there is no unique solution—but rather "given a PDF, what is the most likely corresponding structure?"

PDF から構造は一意に決まらない。論文は、同一のブラッグ強度を与える異なる構造や、二体相関は同じなのに三体相関が違う無秩序モデルの例を挙げている。PDF は二体相関しか含まないので、原理的にそこを区別できない。

だから PDF 解析の出力は、「これが構造だ」ではなく「この候補が最も尤もらしい」として扱わなければならない。3節の水素、7節の R 因子と同じ構図である ―― 数値が出てくることと、その数値が一意であることは別だ。

14. 結晶構造予測(CSP)― 第7回ブラインドテストは、どこまで届いたか

第7回ブラインドテストで最難関だった医薬品候補 XXXII の結果を示す図。挑戦した13群のうち、実験形 A を再現できたのは3群だけだった。7ターゲットの最良成功率の中央値は 35.7 %
図解:最難関の医薬品候補では、13 群中 3 群しか実験形を再現できなかった(成功率は筆者計算)。

「そもそも結晶を作らずに構造がわかればよい」というのが結晶構造予測(CSP)である。化学組成だけから、その化合物が取りうる結晶構造を計算で列挙する。CCDC が定期的にブラインドテストを主催し、答えを伏せたまま各グループに予測させて成績を公表している。

第 7 回(2024年報告)には 28 グループが参加し、22 グループが構造生成フェーズに結果を提出した。ターゲットは 7 系 ―― ケイ素とヨウ素を含む分子、銅錯体、準剛直分子、共結晶、多形を持つ低分子農薬、非常に柔軟な多形性の医薬品候補、多形を持つモルホリン塩。各グループは 1500 個の候補構造を提出する。

論文の Table 3 が、実験で見つかっている形を再現できたグループ数を示している。成功率は筆者計算

ターゲット 挑戦したグループ数 実験形を再現した数 成功率
XXVII(Si・I 含有分子) 14 全原子一致 6 43 %
XXVIII(銅錯体)† 8 5 63 %
XXIX(PXRD 支援演習) 19 1 5 %
XXX(共結晶) 13 A 2 / B 3 15 % / 23 %
XXXI(農薬・既知3形) 17 A 10 / B 9 / C 0 59 % / 53 % / 0 %
XXXII(医薬品候補) 13 A 3 / B 2 23 % / 15 %
XXXIII(モルホリン塩) 14 A 5 / B 4 36 % / 29 %

†XXVIII は試験中に構造が独立に公表されてしまったため、条件が他と異なる。

7 ターゲットの最良成功率は、中央値 35.7 %・平均 37.9 %(筆者計算)。論文の要約もこう書いている。

many crystal structure prediction (CSP) methods performed well for the small but flexible agrochemical compoundwhile few groups were successful for the systems of higher complexity

そして最も注目すべきターゲットが XXXII である。回転可能結合を 11 本持つ大きな医薬品化合物で、論文は「計算コストと効率の点で CSP 手法の最も困難なベンチマーク」と位置づけている。この化合物について、論文はこう書いている。

There are eight claimed anhydrous forms showed through PXRD, only two crystal structures of which are resolved (Forms A and B). … Experimental efforts throughout the course of the test to determine the remaining crystal structures were unsuccessful.

粉末回折で 8 つの無水物形が示されているのに、構造が解けているのは 2 つだけ。しかも試験期間中の実験努力でも残りは決まらなかった。

これは 6 節のインドメタシン(7 多形中、構造既知は 2 つ)とまったく同じ構図である。「相があること」と「構造がわかること」のあいだの溝は、いまも埋まっていない。

一方で、前進もある。

a major achievement where two groups blindly predicted the existence of disorder for the first time(2 グループが、初めて無秩序の存在をブラインドで予測した)

そして XXIX の演習では、質の低い粉末回折パターンから CSP の助けを借りて構造決定に成功している(ただし予測そのものの成功は 19 群中 1 群)。CSP は「構造を当てる」道具から、「回折データの解釈を助ける」道具へ、使われ方が広がりつつある。

分析者の視点

分析者が守るべき7つの原則を示す図。何を測ったかを明記する、実測値と理想値の差を意識する、結晶の大きさを測る、手法ごとの受入基準を持つ、フリーデル対をマージしない、PDF解析の出力は候補として扱う、CSPは網羅性を保証しない
図解:7 つの原則 ― 何を測ったかを書く。合格ラインを手法ごとに持つ。
  1. 「構造を決めた」と言うとき、何を測ったのかを書く。 X線なら電子密度、電子線なら静電ポテンシャル、中性子なら核である。水素の位置を議論するなら、この区別は必須(2〜4節)。
  2. X線構造の水素座標を「実測値」として引用しない。 ライディングモデルで置かれた値は、中性子の理想値より 0.10〜0.16 Å 短い(3節)。差フーリエ図で水素が見えていたのかどうかを確認する。
  3. 「単結晶が得られない」で止める前に、結晶の大きさを測る。 3D 電子線回折が要求する体積はラボ回折計の 10⁷ 分の 1。1 µm を切ると光学顕微鏡では見えないので、「結晶が無い」ではなく「見えていない」可能性がある(5節)。
  4. R 因子の合格ラインを手法ごとに持つ。 CSD の 94 % は R < 10 % だが、それはX線単結晶の物差しである。動力学的散乱がある電子線回折に同じ線を引くと、正しい構造を捨てる(7節)。
  5. 絶対構造を決めるなら、フリーデル対をマージしない。 checkCIF の要求事項であり、装置の既定設定のままだと満たせないことがある(9節)。
  6. PDF 解析の出力は「最も尤もらしい候補」であって「構造」ではない。 二体相関しか含まないので、三体相関が違うモデルを区別できない(13節)。
  7. CSP の結果は、多形探索の網羅性を保証しない。 最も困難な医薬品候補では、実験形 A を再現できたのが 13 群中 3 群だった(14節)。

まとめ

手法ごとに必要な結晶体積を比較した図。ラボの回折計が約 10⁵ µm³、第三世代放射光のマイクロフォーカスビームラインが約 10³ µm³、3D電子線回折が約 10⁻² µm³ で、ラボと電子線のあいだには7桁の差がある
図解:ラボ 10⁵ → 放射光 10³ → 電子線 10⁻² µm³。7 桁の差(比は筆者計算)。
  • 日本薬局方〈2.58〉の「8. 単結晶構造解析」は 3 文で、うち 1 文は「有機結晶では…容易ではない」という警告。判定値はゼロ。電子線回折・中性子・放射光・絶対配置・水素結合は、一般試験法 473 ページに 1 件も無い(筆者確認)。
  • プローブが変わると測っている物理量が変わる。X線=電子密度、電子線=静電ポテンシャル、中性子=
  • そのため水素の位置が食い違う。X線用の理想値は中性子用より 0.10〜0.16 Å 短い(短縮率 9.4〜16.3 %)。
  • 筆者集計:MicroED で実測された 376 本の X–H は、10 種類すべてで中性子の理想値のほうに近かった。ずれの比は約 3.0 倍(単純平均)/約 3.6 倍(観測数重み付け)。
  • 必要な結晶体積は、ラボ回折計 10⁵ µm³ → 放射光マイクロフォーカス 10³ µm³ → 3D 電子線回折 10⁻² µm³7 桁の差(筆者計算)。1 µm を切ると光学顕微鏡では見えない。
  • インドメタシンの Form δ は、47 年間ひとつだと思われていたが、二つだった。融液由来は Cc、溶液由来は P2₁。決着をつけたのは幅 0.5〜2 µm の結晶からの 3D 電子線回折。
  • その構造の R1 は 0.1914。CSD の 94 % が満たす「R < 10 %」の約 1.9 倍(筆者計算)。受入基準は手法ごとに持つ必要がある。
  • SPring-8(8 GeV / 周長 1435.95 m / 2.4 nm·rad)と NanoTerasu(3 GeV / 349 m / 1.14 nm·rad)。周長 4 分の 1 でエミッタンス半分以下(筆者計算)。
  • SACLA のパルス幅 6〜30 fs。「破壊される前に回折する」。
  • PDF 解析から構造は一意に決まらない。「対応する構造は何か」ではなく「最も尤もらしい構造は何か」を問うべきだと原著が明言している。
  • 第 7 回 CSP ブラインドテスト:28 群参加。最良成功率は中央値 35.7 %(筆者計算)。最難関の医薬品候補では実験形 A を再現できたのは 13 群中 3 群。その化合物は、粉末で 8 形が示されているのに構造が解けているのは 2 形だけである。

用語集

  • 多形(polymorph):同じ分子が異なる並び方で結晶化したもの。溶解度・安定性・吸収が変わるため、医薬品では品質特性そのものになる。詳細はXRD と結晶多形の記事
  • 3D 電子線回折(3D-ED)/ MicroED:透過型電子顕微鏡の中で結晶を回転させながら回折パターンを連続取得し、三次元の逆格子を再構成して構造を決める手法。必要な結晶体積は約 10⁻² µm³。
  • 静電ポテンシャル(ESP):電子線回折が返す量。電子密度と核電荷の両方の寄与を含む。X線が返す電子密度とは別物。
  • ライディングモデル(riding model):水素を実測せず、重原子の位置から幾何学的に決めた位置に固定長で乗せる精密化の作法。X線構造の水素座標の多くはこれ。
  • R 因子(R1):観測強度と計算強度の不一致度。小さいほど当てはまりがよい。X線小分子構造では 5 % 前後が一般的で、CSD の 94 % は 10 % 未満。
  • データ完全性(completeness):測定できるはずの反射のうち、実際に測れた割合。3D-ED では試料ホルダーの傾斜制限で 70 % 台に留まることがある。
  • 動力学的散乱:結晶内で電子が複数回散乱される現象。強度と構造因子の二乗の比例関係が崩れるため、電子線回折の R 因子はX線より大きくなりやすい。
  • Flack パラメータ:非中心対称結晶の絶対構造を示す量。0 なら仮定した通り、1 なら反転が正しい。従来の全行列精密化では標準不確かさが過大評価されていた。
  • エミッタンス:加速器中の電子ビームの広がり(位置と角度の積)。小さいほど輝度が高く、細く絞れる。
  • SFX(連続フェムト秒結晶構造解析):XFEL の超短パルスで微結晶を 1 発ずつ測り、統合して構造を得る手法。「破壊される前に回折する」。
  • 全散乱 PDF 解析:散漫散乱を含む回折パターン全体をフーリエ変換して原子間距離の分布を得る手法。非晶質・ナノ結晶に適用できるが、解は一意でない。
  • 結晶構造予測(CSP):化学組成だけから取りうる結晶構造を計算で列挙する試み。CCDC がブラインドテストで成績を公表している。

出典

  1. 第十九改正日本薬局方 一般試験法〈2.58〉粉末X線回折測定法(厚生労働省、2026年4月10日告示・同日適用、p.149-153)― 8. 単結晶構造解析の全文、リートベルト法の脚注。および一般試験法 473 ページ全文検索による「電子線回折」「中性子」「放射光」「絶対配置」「絶対構造」「水素結合」0 件の確認。 https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/001689414.pdf
  2. A. Saha, S. S. Nia, J. A. Rodríguez, "Electron Diffraction of 3D Molecular Crystals", Chem. Rev. 2022, 122, 13883-13914(オープンアクセス)― 必要結晶体積 10⁵ / 10³ / 10⁻² µm³、鉄と炭素の散乱比(電子線 2.4 倍 / X線 6 倍)、静電ポテンシャル、動力学的散乱、厚さの上限、"diffraction before destruction"。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9479085/
  3. M. Lightowler, S. Li, X. Ou, X. Zou, M. Lu, H. Xu, "Indomethacin Polymorph δ Revealed To Be Two Plastically Bendable Crystal Forms by 3D Electron Diffraction: Correcting a 47-Year-Old Misunderstanding", Angew. Chem. Int. Ed. 2022, 61, e202114985(CC BY-NC-ND)― 空間群 Cc / P2₁、格子定数、結晶幅 0.5〜2 µm、分解能 1.03 / 1.15 Å、完全性 70.2 / 75.0 %、R1 = 0.1914 / 0.1724、ソフトウェア連鎖。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9306882/
  4. M. T. B. Clabbers, M. W. Martynowycz, J. Hattne, T. Gonen, "Hydrogens and hydrogen-bond networks in macromolecular MicroED data", J. Struct. Biol. X 2022, 6, 100078(CC BY)― 三斜晶リゾチーム 0.87 Å、376/1067 の水素(35 %)、Table 1 の X–H 実測値とX線・中性子の理想値。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9731847/
  5. C. R. Groom, I. J. Bruno, M. P. Lightfoot, S. C. Ward, "The Cambridge Structural Database", Acta Cryst. 2016, B72, 171-179(CC BY)― Table 1(2006年 vs 2015年)、R 因子 < 10 % が 92 % → 94 %、エントリ数 800,239。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4822653/
  6. G. M. Sheldrick, "Crystal structure refinement with SHELXL", Acta Cryst. 2015, C71, 3-8(オープンアクセス)― NEUT による核間距離への伸長、Flack パラメータの標準不確かさ過大評価、Parsons の商、フリーデル対を非マージとする checkCIF 要件、登録ユーザー 8000 人超。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4294323/
  7. L. M. Hunnisett, J. Nyman et al., "The seventh blind test of crystal structure prediction: structure generation methods", Acta Cryst. 2024, B80, 517-547(オープンアクセス)― 28 群参加・22 群提出、Table 3 の成功数、XXXII の 8 形中 2 形のみ構造既知、無秩序の初のブラインド予測。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11789161/
  8. P. M. Maffettone, W. J. K. Fletcher, T. C. Nicholas, V. L. Deringer, J. R. Allison, L. J. Smith, A. L. Goodwin, "When can we trust structural models derived from pair distribution function measurements?", Faraday Discuss. 2024(オープンアクセス)― PDF から構造は一意に決まらない、二体相関が同一で三体相関が異なるモデル。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11388700/
  9. SPring-8 公式:Storage Ring(電子エネルギー < 8 GeV、周長 1435.95 m、天然エミッタンス 2.4 nm·rad、蓄積電流 100 mA、臨界光子エネルギー 28.9 keV、臨界波長 0.429 Å) https://spring8.jp/archive/en/about_us/whats_sp8/facilities/accelerators/storage_ring/
  10. NanoTerasu 公式:Facility Overview(3 GeV、蓄積リング 349 m、水平エミッタンス 1.14 nm·rad、蓄積電流 400 mA(設計)、線型加速器 110 m、ビームラインポート最大 28) https://nanoterasu.jp/facility-overview_en/
  11. SACLA 公式:ビームライン仕様(パルス幅 6〜30 fs FWHM、光子エネルギー < 20 keV、繰り返し最大 60 Hz、2×10¹¹〜5×10¹¹ photons/pulse @ 10 keV、ピークパワー 29〜50 GW @ 10 keV) https://xfel.riken.jp/eng/users/bml02.html

関連記事

未確認・限界

本記事で確認できなかった事項を積み上げた図。J-PARC MLF の公称仕様値、CSD の最新収録件数、Allen & Bruno の集計値、R因子比較の限界、ICDD PDF-5+ の件数、無機材料側の最新機器の仕様、手法選択の実務上の制約
図解:確認できなかったこと 7 件 ― 原典を自分で開けなかったものは採用していない。
  1. J-PARC MLF(物質・生命科学実験施設)の公称仕様値は記載していない。 公式サイトの該当ページを複数の URL で試みたがいずれも HTTP 404 を返し、原典を自分で開けなかったため。12節の中性子回折の記述は、結晶学の文献(SHELXL の NEUT、Gruene らの理想値)に基づくものに限っている。
  2. CSD の最新(2026年時点)の収録件数は記載していない。 CCDC の統計ページは JavaScript で描画されており、数値を原典から読み取れなかった。本記事が使ったのは 2016 年の公式解説論文に載る 2015 年時点の 800,239 件である。実際の現在値はこれより大きい。
  3. Allen & Bruno(Acta Cryst. 2010, B66, 380)の X–H 結合長の集計値は、本記事では使っていない。 抄録は読めたが本文が購読制で、表の数値を自分で確認できなかったため。3節の理想値は、オープンアクセスの MicroED 論文に転載された Gruene らの値を使っている。
  4. 7 節の R 因子の比較は、性質の異なる指標を並べている。 CSD の「R 因子 < 10 %」はX線単結晶構造を主とする集団の統計であり、3D-ED の R1 と直接比較できる量ではない。本記事はまさにその点(同じ物差しを当ててはいけない)を論じているが、数値としての 1.9 倍という表現は目安である。
  5. ICDD の PDF-5+ の収録件数は採用していない。 ディープリサーチの出力には具体的な件数が含まれていたが、出典が販売カタログであり、ICDD 自身のページで数値を確認できなかったため。
  6. 無機材料側の「最新機器」の型番・スペックには踏み込んでいない。 電子線回折専用装置(dedicated electron diffractometer)は 2023 年以降に複数の製品が出ているが、メーカー公式の仕様値を自分で確認できたものが無かったため、本記事では手法と物理の側から記述している。
  7. 本記事は「どの手法を選ぶべきか」の判断基準を、結晶サイズと測定対象(水素・磁気・非晶質)に絞っている。 費用、装置の可用性、ビームタイムの取得可能性といった実務上の制約は扱っていない。

制作メモ:ディープリサーチで論点を洗い出したうえで、日本薬局方 PDF の全文検索、および Europe PMC 経由でのオープンアクセス原著(Chem. Rev. / Angew. Chem. / J. Struct. Biol. X / Acta Cryst. B・C / Faraday Discuss.)の本文取得により、編集側ですべての数値を原典で検証して執筆した。表中の差分・比・成功率・体積換算は筆者が計算し、その旨を都度明記している。