表面分析法の選び方 ― 深さの順位と、横方向の順位は一致しない【2026年版】
元素・表面分析

表面分析法の選び方 ― 深さの順位と、横方向の順位は一致しない【2026年版】

XPS・AES・ToF-SIMS・SEM-EDS を「表面分析」と一括りにすると、選択を間違える。浅い順に並べると ToF-SIMS(1 nm 以下)→ AES(5〜75 Å)→ XPS(3〜10 nm)→ SEM-EDS(1〜5 µm)だが、 横方向の細かい順に並べると AES(8 nm)→ ToF-SIMS(50 nm)→ EDS(1 µm)→ XPS(10 µm)になる。 順位が入れ替わる ―― 表面分析の代表格である XPS が、横方向では最も広く平均している。しかも ToF-SIMS の「50 nm」は高空間分解能モードの値で、そのとき質量分解能を捨てている。カタログの 最高値は同時には出ない。そして性能表では AES が勝つのに、実務で XPS が選ばれる ―― 決めているのは スペックではなく、試料が帯電するか、電子線で壊れるかである。本記事はメーカー公式値と ISO 規格だけで、 4手法の選択基準を組み立てる。

元素分析法の全体像では、AAS・ICP-OES・ICP-MS・XRF を「どの濃度域を、どの試料形態で測るか」で並べた。今回は表面の話である。

そして表面分析には、元素分析にはない厄介さがある。手法の順位が、軸によって入れ替わる。

浅い順に並べると、こうなる。

ToF-SIMS(1 nm 以下)→ AES(5〜75 Å)→ XPS(3〜10 nm)→→→ SEM-EDS(1〜5 µm)

ところが横方向の細かさで並べると、順位が変わる。

AES(8 nm)→ ToF-SIMS(50 nm)→ SEM-EDS(1 µm)→ XPS(10 µm)

表面分析の代表格である XPS が、横方向では 4 手法の中で最も広く平均している。深さでは 3〜10 nm という表面だけを見ているのに、横には 10 µm ―― 1 万倍の幅で平均した値を返している。

この非対称が、表面分析の選択を難しくしている。「表面分析をお願いします」という依頼に対して、正しい答えが一意に決まらないのはこのためだ。

本記事は、4 手法をメーカー公式値と ISO 規格だけで並べ直し、何を諦めれば何が手に入るかという形で選択基準を組み立てる。

この記事の読み方

  • 入門者:1〜3 節で 4 手法の位置関係を掴めば、分析依頼書を読むときに困らなくなる。8 節は「なぜ皆 XPS を使うのか」の答えになっている。
  • 現場の分析者・依頼者:4〜6 節(カタログ値の読み方)と 11〜12 節(選んだ後に来る落とし穴)が本題。12 節の ISO 20579 は、手法選択より前に効いてくる
  • 数値はすべてメーカー公式資料か ISO 規格から取り、出典とセットで扱った。裏が取れなかったものは末尾の「未確認・限界」に明記した。

1. 4つの手法は、何を叩いて何を捕まえているか

XPS はX線を当てて光電子を、AES は電子線を当ててオージェ電子を、ToF-SIMS はイオンビームを当てて二次イオンを、SEM-EDS は電子線を当てて特性X線を検出する模式図
図解:表面感度を決めているのは、当てるものではなく出てくる信号のほう

まず整理する。表面分析の 4 手法は、何を当てるか何を検出するかの組み合わせで区別できる。

手法 当てるもの 検出するもの
XPS(X線光電子分光) X線 光電子
AES(オージェ電子分光) 電子線 オージェ電子
ToF-SIMS(飛行時間型二次イオン質量分析) イオンビーム 叩き出された二次イオン
SEM-EDS 電子線 特性X線

ここで最初の分岐が起きる。表面感度を決めているのは、当てるものではなく、出てくるものである。

X線も電子線も、試料の中を µm オーダーまで入っていく。それでも XPS と AES が表面だけを見るのは、出てくる電子が浅いところからしか脱出できないからだ。固体中の電子は非弾性散乱でエネルギーを失うので、エネルギーを保ったまま外へ出られるのは表面近くで生まれたものだけになる(詳しくは XPS の記事 の情報深さの節)。

逆に SEM-EDS が表面分析にならないのは、X線が物質中を長く進めてしまうからである。相互作用体積の全体から出てきて、そのまま外に出る(SEM-EDS の記事)。

ToF-SIMS だけは原理が違う。イオンで叩いて表面の原子・分子そのものを引き剥がすので、情報は最表面に限られる。

2. 深さの順位

分析深さの縦軸比較。ToF-SIMS 1 nm 以下、AES 5〜75 Å、XPS 3〜10 nm が 1 桁の中に収まるのに対し、SEM-EDS だけが 1〜5 µm と大きく離れている
図解:ToF-SIMS から XPS までは同じ 1 桁。SEM-EDS だけが 2〜3 桁離れている

各手法が見ている深さを、メーカー公式値で並べる。

手法 分析深さ(情報深さ) 出典
ToF-SIMS 1 nm 以下 ULVAC-PHI 表面分析情報
AES 5〜75 Å(0.5〜7.5 nm) PHI「Auger Electron Spectroscopy」資料
XPS 3〜10 nm λ が 1〜3.5 nm、情報深さ ≈ 3λ
SEM-EDS < 1〜5 µm PHI 資料(EDX 分析体積)

ToF-SIMS から XPS までは、同じ 1 桁の中に収まっている(1〜10 nm)。ところが SEM-EDS だけが 2〜3 桁離れている。

そして注目すべきは、PHI がこの比較を自社資料の中で並べて示していることである。

Auger Analysis Volume (5-75 Å) / EDX Analysis Volume (<1 - 5 µm) EDX minimum analysis area > 1 µm / 710 AES minimum analysis area 8 nm ― PHI「Auger Electron Spectroscopy」資料

同じ電子線を当てながら、AES は 5〜75 Å、EDX は 1〜5 µm を見ている。1000 倍近い差が、検出する信号の違いだけで生まれる。

実務上の含意はひとつ。SEM-EDS は表面分析ではない。厚さ 10 nm の汚染層や酸化膜を SEM-EDS で測っても、返ってくるのは下地を含む µm 領域の平均である。「表面に何かある」ことは分かっても、「表面に何があるか」は分からない。

3. 横方向の順位 ― ここで順位が入れ替わる

横方向の最小分析領域の比較。AES 8 nm、ToF-SIMS 50 nm 未満、SEM-EDS 1 µm 超、XPS 10 µm(最大 400 µm)
図解:深さで 3 位の XPS が、横方向では最も広く平均している

次に、横方向にどこまで絞れるかを並べる。

手法 最小分析領域(横方向) 出典・条件
AES 8 nm PHI 710(プローブ径 < 60 Å)
ToF-SIMS < 50 nm PHI nanoTOF 3(高空間分解能モード)
SEM-EDS > 1 µm PHI 資料
XPS 10 µm(最大 400 µm、5 µm ステップ) Thermo Nexsa G2 データシート

深さの順位(ToF-SIMS → AES → XPS → EDS)と、横の順位(AES → ToF-SIMS → EDS → XPS)が一致しない

とくに XPS の位置が入れ替わる。深さでは 3 番目に浅いのに、横では最下位になる。AES と比べると、深さは同じ 1 桁なのに横方向は 1000 倍以上粗い。

理由は当てるものの違いにある。電子線は磁界レンズで nm まで絞れるが、X線はそう簡単に絞れない。AES と SEM-EDS が電子線を使うから細く絞れて、XPS が X線を使うから絞れない ―― 表面感度の話とは独立に、この制約が横方向の順位を決めている。

だから選択の第一問は「表面か否か」ではなく、「深さが欲しいのか、横が欲しいのか」になる。

  • 数 µm 角の異物の表面組成が知りたい → XPS で足りる
  • 数百 nm の析出物や粒界の組成が知りたい → XPS では原理的に無理。AES か ToF-SIMS
  • 数十 µm のパターンの元素分布が知りたい → SEM-EDS が速い

4. カタログの最高値は、同時には出ない

高空間分解能(50 nm 未満)と質量分解能が排他になることを示す図。ToF-SIMS は 50 nm で測るとき分子の指紋という最大の売りを失う
図解:カタログの最高値は、それぞれ別の設定で測った値である

ここが最も間違えやすい。

ToF-SIMS の空間分解能を「< 50 nm」と書いたが、この値は単独では意味を持たない。PHI nanoTOF 3 のブローシャーは、こう書いている。

PHI nanoTOF 3 offers TOF-SIMS analysis with a high spatial resolution of < 500 nm in high mass resolution mode and < 50 nm in high spatial resolution mode. (PHI nanoTOF 3 は、高質量分解能モードで < 500 nm、高空間分解能モードで < 50 nm の高い空間分解能で TOF-SIMS 分析を提供する) ― PHI nanoTOF 3 ブローシャー

同じ装置で、モードによって空間分解能が 10 倍違う。そして 50 nm を得ているときは、質量分解能を捨てている。

ToF-SIMS の売りは「分子の指紋が読める」ことにあるが、その指紋を読むには質量分解能が要る。つまり 50 nm で見ているとき、その最大の売りは効いていない。

同じ構造は他の手法にもある。

  • AES:ビームを絞れば空間分解能は上がるが、ビーム電流が減って S/N が落ちる。PHI 710 の実データも 20 kV・1 nA と 20 kV・10 nA では像の粒状感が変わる
  • SEM-EDS:加速電圧を下げれば相互作用体積は小さくなるが、X線発生収率が落ちて計数が稼げない(SEM-EDS の記事 3 節)
  • XPS:スポットを 10 µm に絞れば、400 µm のときより信号は桁で落ちる

カタログに並んだ最高値は、それぞれ別の設定で測った値である。装置を比較するときは「その分解能が出るとき、感度と測定時間はどうなるか」を必ず併せて聞く必要がある。これは SEM-EDS の記事 で見た「Mn Kα の分解能だけでは軽元素性能が分からない」と同じ話で、表面分析全体に共通する。

5. 検出限界の順位

検出限界の比較。ToF-SIMS は ppm オーダー、XPS と AES は 0.1〜1 atomic %、SEM-EDS は 0.1 mass%(条件次第で 500 ppm)
図解:XPS の「検出されず」は「0.1 at% 未満だった」という意味でしかない

3 つ目の軸が感度である。

手法 検出限界 出典
ToF-SIMS ppm オーダー ULVAC-PHI 系資料
AES 0.1〜1 atomic % PHI 資料
XPS 0.1〜1 atomic % 程度 一般値
SEM-EDS 0.1 mass%(条件次第で 500 ppm) SEM-EDS の記事

ここで ToF-SIMS が突出する。XPS・AES の 0.1 at% に対し、ToF-SIMS は ppm ―― 3 桁違う。

微量の表面汚染(付着した離型剤、シリコーン、フッ素系化合物)を探すとき、XPS では見えないものが ToF-SIMS では見える。「XPS で分析したが何も検出されなかった」という報告が来たとき、それは「汚染が無い」ではなく「0.1 at% 未満だった」という意味でしかない。

6. 得られる情報の階層

得られる情報の三層。最下層が元素(SEM-EDS)、中層が元素+化学状態(AES・XPS)、最上層が元素+分子フラグメント(ToF-SIMS)
図解:同じ C・F でも、テフロン由来か離型剤由来かを分けられるのは分子情報だけ

4 つ目の軸は、何が分かるかである。ここには明確な階層がある。

段階 手法 分かること
元素 SEM-EDS どの元素があるか C、O、F がある
元素+化学状態 AES・XPS どんな結合状態か C-C か、C-O か、C=O か
元素+分子 ToF-SIMS どんな分子・フラグメントか その C-F はテフロン由来か、フッ素系離型剤由来か

XPS の売りは化学状態にある。金属の Ti と酸化物の Ti は同じ Ti 2p でも数 eV 離れる。この化学シフトを読めるのが XPS の本体で、そこには XPS の記事 で書いた「エネルギー軸をどこまで信用できるか」という別の問題が付いてくる。

一方 ToF-SIMS は分子そのもののフラグメントを返す。「汚染物質が何なのか」を特定したいなら、これしかない。

AES は原理的には化学状態を含むが、実務では元素分析として使われることが多い。理由は次節にある。

7. 検出できる元素

検出可能元素の比較。ToF-SIMS は H から、XPS は H・He 以外、AES は He より重い元素、SEM-EDS は B から
図解:水素を検出できるのは ToF-SIMS だけ

見落とされやすい軸として、元素の範囲がある。

手法 検出範囲
ToF-SIMS H から
XPS H・He 以外
AES He より重い元素(H・He 不可)
SEM-EDS B 以降(H・He・Li 不可)

水素を検出できるのは ToF-SIMS だけである。リチウムは XPS と ToF-SIMS で見えるが、SEM-EDS では原理的に見えない。電池材料や水素脆化の解析で手法が限られるのは、この制約による。

8. 性能表では AES が勝つのに、実務では XPS が選ばれる

AES と XPS の比較表。カタログスペックでは AES が勝つが、絶縁物では帯電と被膜による上書きが起き、電子線が有機物を壊す。XPS は帯電中和 0〜5 eV を標準装備
図解:カタログでは AES が勝つのに実務で XPS が選ばれる ― 決めているのは試料の側

ここまでの表を眺めると、奇妙なことに気づく。

AES は、深さでも横でも XPS に勝っている。深さは 0.5〜7.5 nm(XPS は 3〜10 nm)、横は 8 nm(XPS は 10 µm)。検出限界は同等。それなのに、実務で最も使われている表面分析は XPS である。

理由はスペック表に載っていないところにある。

第一に、絶縁物。AES は電子線を当てるので、絶縁物では電荷が逃げ場を失って帯電する。帯電すると二次電子のスペクトルが歪み、ピーク位置がずれる。対策(試料を傾ける、ビームを弱める、導電性の被膜をかける)はあるが、被膜をかければその被膜が表面情報を上書きしてしまう。表面を見たいのに表面を覆うという矛盾が起きる。

XPS は X線を当てるので、この問題が本質的に小さい。それでも光電子が抜けた分の正電荷は溜まるため、装置側に中和機構が組み込まれている。Thermo Nexsa G2 のデータシートには「帯電補償のビームエネルギー 0〜5 eV」という項目がある ―― 中和は標準装備の機能として設計されている。ToF-SIMS も同様で、PHI nanoTOF 3 は「絶縁性試料の連続無人測定」を謳っている。

第二に、試料が壊れること。AES の電子線は、有機物や高分子に対して放射線分解と熱ダメージを与える。測っている最中に試料が変わっていくので、「何を測ったのか」が曖昧になる。

つまり AES が向くのは「導電性があって、電子線で壊れない試料」 ―― 金属、半導体、無機物の微小領域である。裏を返すと、樹脂・接着剤・塗膜・生体材料といった、産業の現場で最も多く持ち込まれる試料が AES の適用外になる。

手法の選択を決めているのは、性能ではなく試料の側である。これが表面分析の実務における最大の分岐点になる。

9. ToF-SIMS が「定量」に向かない理由

同じ元素でも金属マトリックス中と酸化物マトリックス中でイオン化収率が桁違いに変わることを示す図
図解:ToF-SIMS は「何があるか」を答える手法で、「どれだけあるか」を答える手法ではない

ToF-SIMS は深さも感度も分子情報も最良に見える。ではなぜ全部これで済まないのか。

定量ができないからである。

原因はマトリックス効果にある。ToF-SIMS が検出するのは「叩き出された粒子」ではなく「叩き出されてイオンになった粒子」で、このイオンになる確率(イオン化収率)が、周囲の環境によって桁で変わる。同じ元素でも、金属中にあるときと酸化物中にあるときでは、返ってくる信号強度がまったく違う。

したがって、異なるマトリックスの試料間で信号強度を直接比較することはできない。同じ元素の同じ強度を比べても意味がない、という状況が起きる。マトリックスを揃えた標準試料を用意すれば定量に近づけるが、それは「未知の汚染を特定する」という ToF-SIMS 本来の使い方とは相性が悪い。

実務では、ToF-SIMS は「何があるか」を特定する手法であって、「どれだけあるか」を答える手法ではない。量が要るなら、XPS で組成比を取るか、溶かして ICP-MS に持っていくことになる。

10. 2026 年の動向 ― EDS 側が「表面」に寄ってきている

Unity BEX 検出器をポールピース直下に置き、立体角 10 倍・1 kV 低加速動作で 10 nm 未満を狙う構成図。ただし加速電圧の条件は未公開
図解:低加速の弱点を検出器側で埋めにいく方向。ただし条件は確認が要る

ここまで SEM-EDS を「表面分析ではない」と書いてきたが、2026 年現在、その境界を押し下げようとする動きがある。

Oxford Instruments の Unity BEX(Backscattered Electron and X-ray)検出器は、反射電子センサーとX線センサーを同一パッケージに収め、対物レンズのポールピース直下に配置する。同社の製品ページによれば、立体角は従来比 10 倍1 kV までの低加速で動作し、次のように書かれている。

By combining the Unity BEX detector with a high-resolution FEG-SEM, ultra-high resolution (<10nm) can be attained thanks to the detector's high sensitivity and high take-off angle. (Unity BEX 検出器を高分解能 FEG-SEM と組み合わせることで、検出器の高感度と高い取り出し角により、超高分解能(<10 nm)が達成できる) ― Oxford Instruments, Unity BEX 製品ページ

理屈は通っている。SEM-EDS の記事 で見たとおり、加速電圧を下げれば相互作用体積は小さくなる。その代償は計数が稼げないことだった。検出器の立体角を 10 倍にすれば、その代償を埋められる。低加速の弱点を検出器側で補うという方向性である。

ただし、この <10 nm がどの加速電圧で得られた値なのかは、製品ページに書かれていない。掲載されている実例(Fe-Ni 合金の粒界析出物)は 12 kV での測定と記されているが、12 kV での相互作用体積は依然として µm オーダーのはずである。つまり <10 nm は、超低加速と高分解能 FEG-SEM を組み合わせた最良条件での値と読むのが妥当だろう。

この数字を鵜呑みにして「EDS で表面が見える」と考えるのは危険だが、一方で「EDS は µm 固定」という理解も 2026 年現在は古い。条件を明示して聞くというのが、この節から引き出せる唯一の正しい態度になる。

11. 選んだ後に来る落とし穴 ― 深さ方向分析は試料を変える

単原子イオンが試料を乱すのに対し、アルゴンガスクラスターイオンビームは下層を乱さず表面だけを剥がすことを示す比較図。ISO 14606 と ISO 17109 が条件とスパッタレートを規定
図解:削る操作そのものが試料を変える ― だから国際規格が一本ずつ立っている

手法を選んだ後、実務では必ず次の問いが来る。「深さ方向の分布はどうなっていますか」。

表面分析はどれも最表面しか見ないので、深さ方向の情報を得るにはイオンビームで削りながら測る(スパッタ深さ方向分析)ことになる。そしてこの削る操作そのものが、試料を変える。

削ることで起きる問題は、国際規格が扱うほど深刻である。ISO/TC 201(表面化学分析)には、この工程だけを対象にした規格が複数ある。

規格 内容
ISO 14606:2022 スパッタ深さ方向分析の最適化(層構造系標準物質を用いる)
ISO 17109:2022 単層・多層薄膜を用いたスパッタレートの測定

(出典:一般社団法人 表面化学分析技術国際標準化委員会(JSCA)による ISO/TC 201 規格一覧)

「深さ 50 nm の位置」という報告は、スパッタレートを何らかの方法で決めた結果である。そのレートは試料の材質で変わるので、多層膜を別々のレートで削っておきながら単一のレートで換算すれば、深さの目盛そのものが狂う。ISO 17109:2022 がスパッタレート測定だけで一本の規格になっているのは、そういう事情による。

削り方にも選択がある。単原子のアルゴンイオンは無機材料には有効だが、有機材料に使うと分子を壊してしまう。そこでアルゴンガスクラスターイオンビーム(GCIB)が使われる。PHI nanoTOF 3 のブローシャーには、GCIB について次のようにある。

The use of an argon gas cluster ion beam enables low-damage ion etching for organic materials. (アルゴンガスクラスターイオンビームの使用により、有機材料の低損傷イオンエッチングが可能になる)

クラスター(原子の塊)で叩くと、1 原子あたりのエネルギーが小さくなるため、下層を乱さずに表面だけを剥がせる。有機材料の深さ方向分析をするなら、GCIB があるかどうかは装置選定の要件になる。

12. 手法を選ぶ前に、すでに決まっていること

採取から分析室に届くまでに、皮脂・酸化と炭化水素の吸着・粘着剤の移行によって最表面が変わっていく時系列図
図解:ISO 20579 が求めているのは前処理の統一ではなく、何をしたかの記録と報告

最後に、選択より前の話をする。

ISO/TC 201 には、試料の取り扱いだけを対象にした規格群がある。しかも改訂が新しい。

規格 内容
ISO 20579-1:2024 分析前の試料取扱いの記録及び報告
ISO 20579-2:2025 試料の準備及び取付けの記録及び報告
ISO 20579-3:2021 バイオマテリアル
ISO 20579-4:2018 ナノマテリアルの履歴と準備

(出典:JSCA, ISO/TC 201 規格一覧)

注目してほしいのは、これらが「こう扱え」ではなく「どう扱ったかを記録し報告せよ」という規格だという点である。

表面分析は最表面の数 nm を見る。その数 nm は、素手で触れば皮脂が付き、大気に置けば酸化と炭化水素の吸着が進み、テープで留めれば粘着剤が移る。分析室に届いた時点で、表面はすでに「元の表面」ではない可能性がある。だから国際規格は、前処理を統一するのではなく、何をしたかを記録して結果と一緒に報告することを求めている。

どんなに正しく手法を選んでも、届いた試料の表面が輸送中に変わっていれば、その分析は最初から答えを持っていない。手法選択の前に、試料をどう採り、どう運び、どう保管したかが決まってしまっている ―― これが表面分析の最も地味で、最も外せない前提になる。

分析者の視点

依頼する側・される側の双方に効く点を 3 つ挙げる。

第一に、依頼書に「表面分析をお願いします」とだけ書かない。この一文からは手法が決まらない。決まるのは、次の 4 つを書いたときである。

  1. どの深さを知りたいのか(最表面の吸着物か、10 nm の酸化膜か、1 µm の拡散層か)
  2. どのくらいの広さで平均してよいのか(10 µm 角でよいのか、100 nm の析出物を狙うのか)
  3. どの濃度域を狙うのか(数 % の主成分か、ppm の汚染か)
  4. 元素が分かればよいのか、化学状態か、分子種まで要るのか

この 4 つが決まれば、手法はほぼ自動的に決まる。逆にこれが決まらないうちに装置を選ぶと、返ってきたデータが問いに答えていないという結果になる。

第二に、試料の素性を先に伝える。絶縁物か導電体か、有機物か無機物か、真空でアウトガスしないか。8 節で見たとおり、性能ではなく試料が手法を決める場面が多い。「AES で 8 nm の分解能が要る」と言っても、試料が樹脂なら測っている間に壊れる。

第三に、ToF-SIMS の結果を「濃度」として読まない。9 節のマトリックス効果は原理的なもので、装置が新しくなっても消えない。ToF-SIMS が返すのは「何があるか」であって「どれだけあるか」ではない。同一マトリックス内での相対比較にとどめ、量が要るなら別の手法を重ねる。

そしてもう一段。「うちには XPS があるから XPS で測る」という選択が、実は最も多い。それ自体は現実的で悪いことではないが、そのとき何を諦めているかは自覚しておきたい。XPS で測るなら、横方向は 10 µm で平均され、0.1 at% 未満は見えず、水素は原理的に見えない。報告書に「検出されず」と書くとき、その言葉が意味しているのは「この手法の限界より下だった」ということでしかない。

まとめ

  • 深さの順位と横方向の順位は一致しない。浅い順は ToF-SIMS(1 nm 以下)→ AES(5〜75 Å)→ XPS(3〜10 nm)→ SEM-EDS(1〜5 µm)だが、横の細かい順は AES(8 nm)→ ToF-SIMS(< 50 nm)→ SEM-EDS(> 1 µm)→ XPS(10 µm)になる
  • XPS は表面分析の代表格でありながら、横方向では最も広く平均している。X線は電子線ほど絞れないという、表面感度とは独立の制約による
  • SEM-EDS は表面分析ではない。PHI 自身が「EDX の分析体積 < 1〜5 µm、AES は 5〜75 Å」と並べて示している
  • カタログの最高値は同時には出ない。ToF-SIMS の「< 50 nm」は高空間分解能モードの値で、そのとき質量分解能(=分子情報という最大の売り)を捨てている
  • 感度は ToF-SIMS が 3 桁抜けている(ppm 対 0.1 at%)。XPS で「検出されず」は「0.1 at% 未満」の意味でしかない
  • 水素が測れるのは ToF-SIMS だけ。SEM-EDS は H・He・Li が原理的に見えない
  • 性能表では AES が XPS に勝つのに、実務で XPS が選ばれる。決めているのは絶縁物の帯電と電子線損傷 ―― スペックではなく試料である
  • ToF-SIMS は定量に向かない。マトリックス効果でイオン化収率が桁で変わり、異なるマトリックス間で強度を比較できない
  • 2026 年は EDS 側が表面に寄ってきている(Unity BEX の < 10 nm)。ただし加速電圧の条件が公開されていないので、条件を明示して確認する必要がある
  • 深さ方向分析は試料を変える。ISO 14606:2022 と ISO 17109:2022 がスパッタ条件とスパッタレートを扱っており、有機材料には GCIB が要る
  • 手法選択より前に、試料の扱いで結果は決まっている。ISO 20579-1:2024 / -2:2025 は「どう扱ったかを記録し報告する」ことを求めている

用語集

  • 情報深さ(information depth):検出される信号の大部分が生じている深さの範囲。XPS・AES では電子が非弾性散乱を受けずに脱出できる距離で決まる。
  • 非弾性平均自由行程(λ):電子がエネルギーを失わずに進める平均距離。XPS では Al Kα 励起で 1〜3.5 nm 程度。情報深さの目安は 3λ。
  • オージェ電子:内殻に空いた穴を外殻電子が埋めるとき、余ったエネルギーで別の電子が放出される現象(オージェ過程)で出てくる電子。元素固有のエネルギーを持つ。
  • 二次イオン:一次イオンの衝突で試料表面から叩き出された粒子のうち、電荷を持ったもの。ToF-SIMS が検出するのはこれだけで、中性粒子は検出されない。
  • マトリックス効果(ToF-SIMS):イオン化収率が周囲の化学的環境によって桁で変わる現象。ToF-SIMS が定量的でない最大の理由。
  • GCIB(ガスクラスターイオンビーム):多数の原子からなるクラスターをイオン化して照射する方式。1 原子あたりのエネルギーが小さいため、有機材料を壊さずにエッチングできる。
  • スパッタ深さ方向分析:イオンビームで表面を削りながら測定を繰り返し、深さ方向の組成分布を得る方法。削る操作自体が試料を変えるため、ISO 14606・ISO 17109 が条件とレート決定を規定している。
  • 帯電中和(charge neutralization / compensation):絶縁物試料で溜まる電荷を、低エネルギーの電子やイオンを供給して打ち消す機構。XPS・ToF-SIMS では標準的に装備される。
  • BEX(Backscattered Electron and X-ray):反射電子センサーとX線センサーを一体化し、対物レンズ直下に置く検出器方式。低加速での元素マッピングを狙う。
  • ISO/TC 201:表面化学分析を扱う ISO の専門委員会。用語(ISO 18115 シリーズ)、校正(ISO 15472 など)、深さ方向分析(ISO 14606・17109)、試料取扱い(ISO 20579 シリーズ)を整備している。

出典

  1. Physical Electronics (PHI) / ULVAC-PHI, "Auger Electron Spectroscopy" 技術資料 ― AES の検出限界 0.1〜1 atomic %、表面感度「最表面 5〜75 Å」、PHI 710 のプローブ径 < 60 Å、He より重い全元素を検出、AES 分析体積 5〜75 Å 対 EDX 分析体積 < 1〜5 µmEDX 最小分析領域 > 1 µm 対 710 AES 最小分析領域 8 nm https://d32ogoqmya1dw8.cloudfront.net/files/msu_nanotech/goldschmidt2017/description_phi_710_nanoauger.v3.pdf
  2. PHI 710 Scanning Auger Nanoprobe ブローシャー(ULVAC-PHI)― 同軸 25 kV 電界放出電子銃、円筒鏡型分析器(CMA)、5 kV フローティングコラム Ar⁺ イオン銃、絶縁物分析、薄膜(< 5 nm)には 100〜500 eV での低エネルギースパッタ https://www.phi.com/assets/documents/products/phi-710/710-brochure.pdf
  3. PHI nanoTOF 3 ブローシャー(ULVAC-PHI)― 高質量分解能モードで < 500 nm、高空間分解能モードで < 50 nm、絶縁性試料の連続無人測定、Ar ガスクラスターイオンビームによる有機材料の低損傷エッチング、Cs・O イオン銃による無機材料の深さ分析 https://www.phi.com/assets/documents/products/nanoTOF/phinanotof3-compressed.pdf
  4. Thermo Scientific Nexsa G2 Surface Analysis System データシート(ds0364)X線スポット径 最小 10 µm・最大 400 µm(5 µm ステップでソフトウェア調整)、パスエネルギー 1〜400 eV 連続可変、帯電補償のビームエネルギー 0〜5 eV、イオン銃(単原子 500〜4,000 eV/クラスター 2,000〜8,000 eV) https://documents.thermofisher.com/TFS-Assets/MSD/Datasheets/ds0364-nexsa-g2-xps.pdf
  5. Oxford Instruments, Unity BEX 製品ページ ― 反射電子センサーとX線センサーを一体化しポールピース直下に配置、立体角 10 倍、1 kV までの低加速動作、検出限界 0.1 wt%、「高分解能 FEG-SEM と組み合わせて超高分解能(< 10 nm)が達成できる」 https://nano.oxinst.com/products/bex/unity
  6. 一般社団法人 表面化学分析技術国際標準化委員会(JSCA), ISO/TC 201 規格一覧 ― ISO 18115-1:2023(用語・分光学)、ISO 15472:2010(XPS エネルギー軸校正)、ISO 14606:2022(スパッタ深さ方向分析の最適化)ISO 17109:2022(スパッタレート測定)ISO 20579-1:2024(分析前の試料取扱いの記録及び報告)、ISO 20579-2:2025(試料の準備及び取付けの記録及び報告)、ISO 20579-3:2021、ISO 20579-4:2018 https://www.jsca-jisc.org/出版物/iso規格-tc-201
  7. ULVAC-PHI 表面分析情報 ― TOF-SIMS の情報深さ 1 nm 以下、XPS の情報深さ数 nm、AES の空間分解能が他の表面分析法と比べて非常に高いこと https://www.ulvac-phi.com/ja/surface-analysis/
  8. Montana State University, Imaging and Chemical Analysis Laboratory(D. Mogk, 2021) ― XPS の λ は Al Kα で 1〜3.5 nm、サンプリング深さ 3〜10 nm、H・He 以外の全元素、原子濃度の確度 ±10 % https://serc.carleton.edu/msu_nanotech/methods/xps.html

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未確認・限界

  • XPS の検出限界 0.1〜1 atomic % は広く用いられる一般値として記載したが、本記事ではメーカー公式資料での直接確認ができていない。AES の 0.1〜1 atomic % は PHI 資料で確認済み。
  • ToF-SIMS の検出限界「ppm オーダー」は、複数の資料で一致する値だがメーカー公式の保証値としては確認していない。ppb まで到達するという記述も見られるが、条件が明示された一次資料を確認できていないため採用していない。
  • マトリックス効果によるイオン化収率の変動幅について、「数桁にわたる」ことは複数の文献で一致するが、具体的な倍率(10⁵ など)は一次資料で確認できていないため記載していない。
  • Oxford Instruments Unity BEX の「< 10 nm」の測定条件(加速電圧・試料)は製品ページに明示されていない。掲載実例は 12 kV とされているが、その条件での値かどうかは確認できていない。
  • HAXPES(硬X線 XPS)による約 30 nm の情報深さCryo-XPS/SIMS の推奨温度深さ方向分析における Li の移動やクレーター形状(W 型・V 型)については、調査過程で言及を見たが一次資料での検証ができていないため本記事では扱っていない。
  • AES・ToF-SIMS・XPS の装置価格や分析の外注費用は本記事では扱っていない。実務の選択ではここも要因になるが、公開された一次情報が乏しい。

制作メモ:本記事は NotebookLM のディープリサーチ(84 ソース)で調査の当たりを付けたうえで、記載したすべての数値について編集側がメーカー公式資料・規格一覧を実際に開いて検証し、執筆した。検証できなかった項目は「未確認・限界」に明記している。